ストーリー

豊かな自然やグルメなど、百年後芸術祭を機にまちの魅力をもっと知ってもらうべくさらなる“富津市磨き”をしていきたい。

2024.04.14 | 富津市

インタビュー

富津市長 高橋恭市

———「百年後芸術祭-内房総アートフェス-」開催の経緯をお聞かせください。

百年後芸術祭を開催する内房総5市(市原市、木更津市、君津市、袖ケ浦市、富津市)の内、富津市は最後にメンバーに加わりました。市原市を除いた4市を「かずさ4市」と呼称することがあります。各市それぞれに持ち味がありますが、豊かな自然とそこから生まれるグルメは富津市が一番だと自負しています。百年後芸術祭を通して実際に多くの方々に富津市を訪れていただき、富津市の魅力、本物の魅力を知っていただくことが私たちにとってのひとつの目的となっています。

富津市には鋸山美術館(旧金谷美術館)という民間美術館や、仏教遺跡や産業遺跡がある鋸山などがあり、これらを使った芸術活動は以前から行っていました。その取り組みに対する反応を見て芸術活動の効果は感じていましたので、百年後芸術祭で著名なアーティストの作品を展示していただき、市民の方々が触れられる機会を作っていただけることはすごく楽しみですし、地域の子どもたちにいい刺激を与えてくれると期待しています。

今回作品を展示するのは、富津市と海のつながりを紹介する富津埋立記念館をはじめ、市民の憩いの場となっている市民ふれあい公園や富津公民館となりますが、そこを起点に鋸山美術館や鋸山など地域を代表するスポットにも足を運んでいただけると、より深く富津市を知っていただけるでしょう。

作品を展示するにあたっては地元の方々にもご協力いただきました。先日たまたま会った漁師さんにも「この前、芸術祭の準備を手伝ったんだよ」と言われ、本当に地域で作っているんだなと感じていますので、私自身も見に行くのを楽しみにしています。

4月6日に開催された百年後芸術祭のライブパフォーマンス「不思議な愛な富津岬」は東京湾に突出した富津岬にある「千葉県立富津公園ジャンボプール」が舞台に。

中﨑透「沸々と 湧き立つ想い 民の庭」。埋め立て地に建つ「富津公民館」を中心とした、巡回型インスタレーション作品。地域に所縁のある4名の方にインタビューを行い、富津市の漁業や岬周辺の公園、海や街についての話を伺い、その言葉から引用した37のエピソードを会場内に配置し、エピソードとオブジェクト(制作した作品や備品、残置物を組み合わせたようなもの)を辿りながら富津市にまつわる物語を体験する。

五十嵐靖晃「網の道」。およそ50年前に行われた埋立開発は海の風景・漁場、人々の営みを変えてきたが、ここ富津の海では、海苔漁が受け継がれ今の姿がある。この地で先代を含んだ漁師たちと協働で海苔網の道を編み、これからの50年に向けて50年前の志気を編みつなぐ。富津岬を挟んだ南北2つの網の道を歩き、水際の風景を眺めながら、地域社会の変容を体感すると共に、人と海の関係の100年後を想像してみる。

———「豊かな自然とそこから生まれるグルメ」を挙げていただきましたが、その他に富津市にはどのような魅力があるのでしょうか。

先ほど紹介した鋸山は観光客の方には是非見ていただきたいスポットですし、お子さま連れをはじめ幅広い年代に楽しんでもらえる場所としてはマザー牧場がありますが、何と言っても一番の自慢は海も山もあるということです。富津市の海はいわゆる江戸前の最も南に位置していて、ここで取れる海産物はどこに出しても恥ずかしくないものだと自信を持って言えます。ただし、近年は不漁に苦しんでもいますので、漁師さんや飲食店を応援する意味でも現地に来て本物を召し上がっていただきたいですね。その他にも、ご当地ラーメンの竹岡式ラーメン、私たちは「はかりめ」と呼んでいるアナゴ料理、メロンやイチゴといった果物など、おいしいものはたくさんあります。

富津市の人気和食店「味のかん七」の「はかりめ丼」。 穴子は細長い体に規則正しく白い点々模様があり、それが棒はかりの目のようであったことから、富津市の市場用語で「はかりめ」と呼ばれていたという。

景観も大きな魅力でしょう。富津市からは東京湾越しの富士山が見えます日本全国どこからでも見えるものではなく、私たち富津市民の自慢の1つです。富津市内から富士山が見えるポイントはいくつもありますが、見る場所や気候条件によって少しずつ見え方が違っていますので、市内をくまなく巡り、ここでしか見られない富士山の多彩な表情を楽しんでいただきたいですね。

富津市役所から眺める富士山。

東京湾に細く突き出た富津岬。突端までの木のトンネルも雰囲気がある。
富津岬突端にある明治百年記念展望塔

もうひとつ挙げられるのは都心からの距離感です。私もこの富津市で生まれ育った人間ですが、若い頃は田舎に対してマイナスイメージを持っていましたし、夜になると真っ暗になってしまう町が嫌で、都会に対する憧れを持っていました。でも社会に出ていろいろな人と出会い、仕事を通じて地域に根ざす活動を始めてみると、やっぱり富津市は良いところなんだなと思えるようになりました。アクアラインを使えば1時間半ほどで東京にも出られることを考えると、「ちょうど良い田舎」と言えるんですよね。富津市はかずさ4市の中でも少子高齢化が特に進んでいて、人口減少や空き家などの問題も増えています。それでもこの数年間でその「ちょうど良さ」が注目され、移住してきてくれる若い方や、この地に別荘を構える方も増えてきています。そうした人々に対して、富津市の自然のように時代が新しくなっても簡単にはつくれないものを継承し、生かし、今の時代に生きる人々の希望になるような方向へ進めていくことが私たちの使命だと思っていますし、そのためにも我々が持っている魅力をもっと磨く“富津市磨き”をしていかなければなりません。こうした思いは百年後芸術祭にも共通しているポイントなのでしょう。

———100年後の富津市がどのような地域になっていてもらいたいとお考えでしょうか。

残さなくてはならないものがしっかりと残っている未来だといいなと思っています。我々の場合は自然がその最たるものですが、やはり一度手を付けてしまうと簡単に元に戻すことはできません。富津市は東京に最も近い本物の自然のある地域だと思っていますので、今の時代に生きる私たちが努力して、100年後にも残る本物の自然を守っていかなければならないでしょう。

自然という観点では、ジビエもキーワードになってくるでしょう。近年全国的に猪や鹿といった有害鳥獣の存在が問題になっていますが、そうした生物と共存しながらも管理していくことが大切になっていきますし、その生命をできる限り有効活用していくべきだと思っています。そのためにいろいろな方のお知恵をいただきながら、ジビエの活性化も進めていきたいですね。

人口面では、この地で生まれた子どもたちに、社会の中心世代になってからもここでの生活を選んでもらうための努力が必要です。そのためには行政が一定の利便性を確保していかなければならないので、「田舎のままでいいや」という思いでいてはなりませんし、子育てや教育、健康といった生活の根幹部分で他地域に負けないようなレベルを保っていきたいと思っています。

———最後に、「百年後芸術祭」に興味を持ってくださっている方にメッセージをお願いします。

2023年9月のスタート以降いくつかのイベントに参加させていただきましたが、私自身現代アートに触れる機会はあまりなかったので、正直なところはじめのうちは「え?」「これはいったいなんだろう?」と思うこともありました。でも、だんだんと引き込まれていき、圧倒されることもありました。それに多くの人が感心している様子を見ると、この分野には多くの可能性があると感じるようになってきました。富津市の伝統文化も、もっと自信を持って取り組んでいったり、少し形を変えてアピールしていくと、より素敵なものになり、注目も集められるかもしれないですよね。

そういったさまざまな発見がある芸術祭を通して富津市にも訪れていただきたいのですが、その際には自動車で移動するだけでなく、徒歩でも市内を巡ってもらうことをおすすめします。富津市ではウォーキングイベントを頻繁に開催していて、私も定期的に参加するのですが、長年この地で暮らしている私でも歩く度に新しい発見がありますし、都会で生活している方には珍しい風景を楽しんでいただくこともできるでしょう。そういったものを味わっていただけると、私たちもとても嬉しいです。

Photo:Eri Masuda
Interview:Kana Yokota  text :Tomoya Kuga

高橋恭市

千葉県富津市出身。千葉県立安房高校、帝京大学卒業。浜田靖一衆議院議員政策秘書を務めたのち2013年に富津市副市長、2016年より富津市長。趣味は料理、スポーツ鑑賞、食べ飲み歩き。『自信を持って次世代にバトンを渡せる富津市づくり 』を目標に活動中。

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