千葉県
2023.08.28
インタビュー
アートを原動力に、一人一人がちゃんと自分の努力で生きられるという状態が望ましい。
千葉県誕生150周年記念事業総合ディレクター 北川フラム ---------「百年後芸術祭」に関わることになった経緯をお聞かせください。 実は、千葉県とは不思議な縁があり、高校生のときに半年近く、駅でいうと下総中山に住んでいたことがあるんです。それからずいぶん経って、市原湖畔美術館が改修になるということで、その改修をどうしたらいいかという相談がありまして、それが縁となって美術館の指定管理を手がけるようになりました。小さな美術館ですが、それでも全国的に評価の高い展覧会を開催してきたと思っています。そんなことがありながら、僕がほかの地域でやってきた芸術祭を千葉でもできないだろうかということで、「いちはらアート×ミックス」を開催しました。 特に小湊鉄道を通していろいろなことを考えていこうということをやっていましたね。「いちはらアート×ミックス」は、アートだけではなく地域の生活、風景、食をミックスでやろうというものでした。 基本的に芸術祭に関しては、僕が「ここでやろう!」と地域を選ぶのではなく、自治体などからオファーがあったところでやれることをやるというスタンスです。市原湖畔美術館は市原市の中でも南部の里山のところにあるんです。南部は面積は全体の半分あるんだけど、人口は数分の1しかないという場所です。千葉県全体は実に自然豊かだし、いろんなものがあるのだけど、市原の南部はやっぱり非常に過疎なんですね。だからそんな地域が元気になるためにはどうしたらいいかを美術館の活動をやりながら考えていかざるを得ないわけで、東京の近くで、工業地帯の横にありながら過疎になってくる農村地帯というところから入れたのは非常にありがたかったです。 © 2020 Ichihara Artmix Committee. ---------今回、「百年後芸術祭」ではどんなアートを展開していこうとしているかお聞かせください。 「百年後芸術祭」は「いちはらアート×ミックス」で活動してきたことがリサーチのベースになっています。地域を回ってみて、千葉の皆さんが長い歴史や農業、あるいは漁業を中心とした生活に価値を見出したいと思っておられることに驚きました。千葉県全体はすごく広い土地だし、農業・漁業というのは千葉県のベースにあるということを知事もほかの方々も感じています。 内房総アートフェスは、農業など昔からの千葉の遺伝子を打ち出したいと思っています。木更津なんかは昭和の時代から東京、川崎、横浜に近く、すごく賑わった歴史があるんです。木更津の花街にも当時は4000人近い人がいて、当時の見番が今も残っているんですよ。当時の豊かで元気が良かった昭和レトロの街をアートの舞台にしたいと木更津市が思っているのはちょっと驚きでした。見番というのは、お客さんが来られると、「あのお店にはあの芸者さん」、「この店にはその芸者さん」といった差配をやるんです。そういう見番の建物が残っていて、今も月に何回かはお稽古事をそこでやっている。今もまだ何人か残っているそうなんです。そんなところほかにあんまりないんです。殷賑(いんしん)を極めた時代があって、そのときの町の面影が木更津の駅前にまだ残っていて、興味深いですよ。 ---------「いちはらアート×ミックス」などのご経験から、芸術表現の場として千葉県の魅力や可能性をどのようなところに見出されているか、お聞かせください。 日本は2017年に文化芸術基本法を改訂しました。その中に、地域と関わる芸術祭と日本食の重要性が入ったんです。今までは食なんて文化に入っていなかったのですが、食で重要なことは豊かであること、旬のものを食べるから栄養バランスがいい、そして彩りを考えて見た目や出し方を工夫する。これらの点から日本食は世界的にみても(文化として)重要だということです。これらはもう千葉県にとってはぴったりのテーマですね。 熊谷知事は「千葉は日本の縮図だ」と仰っていますが、言い方を変えると僕は「東京の隣に北海道があるようなもの」だと思っているんです(笑)。広くて、自然豊かで、おいしいものがたくさんあるという意味で。 あとは、アクアラインで来ると本当によくわかるのは、三浦半島と千葉県の近さです。源頼朝が千葉にきて再起したというのがよくわかりますね。ほかの地域に行くよりは近いし豊かですから。里見八犬伝の里見家がもう一つの王国をつくろうとして千葉で頑張ってきたこともわかるような気がする。江戸時代も徳川幕府がほぼ直轄地にしていましたし、そういうことも含めて千葉県は本当に重要な土地だという感じがします。 「いちはらアート×ミックス」の作品。レオニート・チシコフ《7つの月を探す旅「第二の駅 村上氏の最後の飛行 あるいは月行きの列車を待ちながら」》© 2020 Ichihara Artmix Committee. ---------逆に、千葉をめぐられて課題として感じられたことはありますか? 千葉における課題というのは、東京に近いけれども農村地帯は人口減少がすごく激しいし、学校の統合がすごく行われていること。人口が減っていくとコミュニティが成立しません。それは大変なことだし頑張らなきゃいけない課題だと思います。 世界全体で見れば人口減が望ましいともいえるわけです。人口爆発のほうが怖いですからね。ただ、これまで高度経済成長で来たところが人口減で急激にしぼんでいるから大変で、その問題を解決しなきゃいけないんです。人口が減る中でどうコミュニティを作って豊かな生活ができるかという課題に直面しています。「いちはらアート×ミックス」もそれが最初の出発です。長年、里山連合の人たちとの縁はかなり丁寧に進めてきました。10年前とはアートに対しての理解もだいぶ変わりました。ようやく地域の中で根ざしてきているような気がするし、市原全体でも学校の美術の先生たちが一緒にやってくれるようになってくるなどだいぶ変わってきました。 それと、市原の地域は外国人労働者の方が結構多く、中国、韓国、フィリピン、ブラジル、ベトナムからアーティストを招いてワークショップをやったことがあります。このように市全体が持っているいろいろな課題というのはあるわけで、そういう課題に少しでも関われればいいなと思っていましたが、10年ぐらい経つと少しずつ形になってくるんですね。小湊鉄道の社長さんも、はじめはよくわからないときょとんとしておられましたが、すごく意識に変化があったようです。嬉しいですね。 ---------この芸術祭が日本の社会やカルチャーシーンにどのような影響があることを期待されているかお聞かせください。 20世紀は機会均等とか民主主義とか、どこにいても同じ体験ができるとかそういったことが目標とされてきました。それがホワイトキューブといわれる白い箱型のギャラリーです。市原であっても東京であってもニューヨークであっても、作品はすべて同じように見えるということが大切でした。実はこの価値観は美術館からではなく建築からで、東京も千葉も、ニューヨークもヨハネスブルクも全部同じ景観になりました。同じ景観にすることが一つの目標だったのですが、実際には都市だってぐちゃぐちゃだし、それでいい結果が出たわけじゃない。みんなを蹴とばしてレールに乗るしかないとか、競争とか、刺激とか、大量生産大量消費の時代になった。そうすると、本当はこれが生きているリアリティじゃないんじゃないかと思うようになってくるんです。 一人一人がちゃんと自分の努力で生きられるという状態が僕は望ましいと思っていて、それが充実感につながるのだと思っているんです。そういったことのベースになるようなことにアートというのはいいんじゃないかと思っています。 英国数理社の試験を解いて、平均点や偏差値を伸ばすことが良いのではなく、個人個人の考え方や感覚によって生き方が決まっていくような、責任を持てるような生き方しか今後は意味がないんじゃないかと僕は思っています。どんな場所でもなんとか生きていけるとか、そこの土地の人は守ってくれるというのは一番大切な価値観だと思っているので、そういう価値観のベースに美術があるといいなと思っています。千葉には里山・里海の良さがずっと残っています。そして江戸時代にも大きな藩があったわけではないから、地域の単位が適切な単位のコミュニティがあるというのがいいと思いますね。それが一番の特色だと思います。 ---------百年後、どんな未来を望みますか? 正直僕は今日、明日のことしか考えていないので、それ以上のことを全く考えられません。せいぜい2年先の芸術祭の骨格をもわっと考えるぐらいで、現実的には今日明日のことで精いっぱいです。芸術祭というのはその地域が長期的に成長していくために大切なことをやっていきたいと思っているので、結果的に未来を考えていることにはなるのでしょうけれど。100年先のことを考えている人たちは立派だと思います。今、多くの人はこれからどう生きるかに死に物狂いですよね。いろんなことががらがらと変わっていますから。そういう中でみんな自分がどう生きるかと考えることはとても大事なことだと思います。 text :Kana Yokota