ストーリー

参加アーティストのインタビューや、アート・食・音楽に関する対談の様子、芸術祭のめぐり方やアート作品のご紹介など、百年後芸術祭にまつわるストーリーをお届けします。

子どもたちが楽しむ声が聞こえて、それを大人たちが笑顔で見守っていてくれるような風景を100年後にも袖ケ浦市に残していきたい。

袖ケ浦市

2024.05.15

子どもたちが楽しむ声が聞こえて、それを大人たちが笑顔で見守っていてくれるような風景を100年後にも袖ケ浦市に残していきたい。

袖ケ浦市長 粕谷智浩 ---------まずは袖ケ浦という街の特徴を教えてください。 もともとは農業と漁業が市民生活の中心でしたが、今から50年ほど前に臨海部を埋め立てて工場地帯を造ったことで人口が増え、コンパクトながらも豊かな自然と産業が共存するという現在の街の基礎ができました。さらにアクアラインの開通によって交通の利便性が飛躍的に高まったことも大きな変化でした。市内のどこに住んでいても自動車で5分~30分も走ればアクアラインに乗れますし、羽田空港までは25kmほどの距離ですので、日本の大半の場所に3時間ほどで行けることになります。千葉のもうひとつの玄関口としての役割を担うようになると、他地域から袖ケ浦に移り住む人も増え、2005年以降はずっと人口が微増し続けている状態です。 観光地としては、東京ドイツ村や袖ケ浦フォレストレースウェイというサーキット場、複数のゴルフ場があり、アクセスの良さを活かして首都圏からの日帰り客も多くいます。また、アクアラインのすぐ近くということもあり、今回百年後芸術祭を連携開催する市原市、木更津市、君津市、富津市の人々が行き交う街でもあります。 一年を通して四季折々の花が鑑賞できる「東京ドイツ村」 ---------袖ケ浦市が百年後芸術祭に参加したきっかけを教えてください。 2023年度が千葉県誕生150周年という節目を迎えることもあり、各市との間で共に手を携えて事業をやりましょうという話が出ていたことが発端です。 5市を舞台にした芸術祭というのはとても大きな話ですが、その中で私たちの地域の魅力をどう活かしていくかということはすぐにイメージができました。例えば、桜の名所と言われる袖ケ浦公園のすぐ近くの田んぼには、インドネシアの芸術家であるダダン・クリスタントさんの作品が展示されます。そこは桜が咲くと鮮やかなピンクに囲まれ、新緑の季節には緑が美しく、田んぼの稲穂が育っていくと黄金色が広がります。そうやって季節が移り変わる度に異なる風景を楽しめる場所でもあるため、袖ケ浦が持つ豊かな自然と非常にマッチした展示になるだろうと楽しみにしています。 また、市内でアーティストの方にワークショップを開催していただき、小さなお子さんをはじめとした多くの方にアートに触れてもらう機会も作っています。 100年後というと私などはもう生きていないでしょうが(笑)、小さな子どもたちはもしかしたら100年後も生きているかもしれませんよね。その時に彼らの中に「自分たちが幼い頃、袖ケ浦でこんなことがあったね」という記憶が少しでも残っていたら嬉しいですし、そんな未来に思いを馳せて取り組めるのはいいことだと感じています。 袖ケ浦市農畜産物直売所「ゆりの里」付近農道で鑑賞できるダダン・クリスタント《カクラ・クルクル・イン・チバ》 袖ケ浦公園内で鑑賞できる東弘一郎《未来井戸》 旧進藤家住宅(袖ケ浦公園内)で鑑賞できる大貫仁美《たぐり、よせる、よすが、かけら》 ---------市民や他地域から来られる方に、百年後芸術祭をどのように楽しんでもらいたいとお考えですか。 今回は広域で開催する芸術祭ですので、袖ケ浦市だけでなく各市に訪れていただきながら楽しんでもらいたいと思います。1日では周りきれないと思いますから何回かに分けて来ていただきたいですし、季節の移り変わりに合わせて作品の見え方も変わってくるはずなので、気に入った作品が見つかったら時間を置いて再訪すると新しい発見もあると思います。 また、現在袖ケ浦で暮らしている方々は意外と近隣市を訪れる機会が少ないんですよね。そこで、この芸術祭をきっかけに他の地域を見てもらい、その場所の魅力を見つけていただきたいです。その発見は自分たちの地元を見直すきっかけにもなるはずですから。 ---------袖ケ浦の特徴として自然と近代性の融合を挙げていただきましたが、その他にはどのような魅力を持った地域なのでしょうか。 食の面では、春から初夏にかけて農作物がよく採れます。体験農園もあり、イチゴや様々なフルーツを楽しむことができます。野菜も旬のものが安く手に入るので、都内からわざわざ買いに来る方もいます。また、袖ケ浦は酪農が盛んな地域ですので、牛乳を活かした料理があるのも特徴で、ホワイトガウラーメンという牛乳をスープに用いたラーメンが人気グルメになっています。 大衆中華ホサナの「元祖 ホワイトガウラーメン 」 観光的な観点からは離れますが、教育にも力を入れていて、都心ではできないような学びの機会を子どもたちに設けています。代表的なものが毎年夏休みに開催する「そでがうらわんぱくクエスト」です。市内の小中学生を対象とした企画で、今年度は君津市・木更津市・袖ケ浦市の3市を舞台に、2泊3日をかけて歩いてゴールを目指します。自然の中で遊びながら進み、夜は民家の軒先などを借りて野外泊をするという人気イベントで、毎年多くの子どもたちに応募いただく人気の体験型学習です。 市としては図書館教育にも力を入れていて、2023年には「図書館を使った調べる学習コンクール(主催:公益財団法人図書館振興財団)」で袖ケ浦市の小学6年生が文部科学大臣賞を受賞しています。 また、地元企業のご協力をいただいて子どもたちに職業体験も提供しています。2023年には百年後芸術祭の連携事業として、袖ケ浦フォレストレースウェイをお借りして自動車に関わる仕事や、銀行員、助産師、大工といった様々な仕事を体験できるイベントを開催しました。その他にも、研究者の方が多くいる臨海部の企業にご協力いただき、科学実験を教えてもらう機会なども設けています。 都心へのアクセスの良さ、自然の豊かさ、そして教育へも力を入れていますので、袖ケ浦市はとても子育てがしやすい街だと胸を張って言うことができます。 ---------100年後の袖ケ浦市はどのような街になっていてもらいたいとお考えでしょうか。 街自体の発展はもちろんですが、何よりもその街にいる人たちが幸せに暮らせる地域になっていて欲しいですよね。子どもたちが楽しむ声が聞こえて、それを大人たちが笑顔で見守っていてくれるような風景を100年後にも残していきたいと思います。 現時点では、袖ケ浦駅周辺の整備が進み、駅周辺には新しい住宅地が広がり、多くの方に住んでいただいています。今後は住宅以外の開発も進めて街を広げていきたいですし、それは私自身の夢でもあります。もちろんそのためには地域の皆さんと同じ方向を向き、意識や将来のイメージを共有していかなければなりませんから、しっかりと時間をかけてコミュニケーションを取り、ともに歩んでいきたいと考えています。 より長期的な観点での取り組みとしては、しっかりとした都市機能の構築や、自然を維持していくことが挙げられます。都市化ばかりを進めて自然を蔑ろにしてしまうと元に戻すことは非常に大変ですし、反対に人の生活環境を整えることも疎かにしてはいけません。どうやってそのバランスを取っていくかが大事ですし、そこを誤ると街のバランスも崩れてしまいます。現在のこの街の姿は50年前、100年前に目指してきたものだと思いますし、今の時代を生きる私たちも50年後や100年後を見据えながら行動に移すことが重要です。そう考えると、百年後芸術祭を通じて未来を考えるきっかけを得られたことは非常によかったと感じています。 ---------最後に、「百年後芸術祭」への期待をお聞かせください。 この数年の間はコロナ禍の影響で多くの人が内向きな状態になっていましたし、行政の立場から外出や経済活動の自粛をお願いすることもありました。そうした中で徐々に人々が動き始める流れがつくられ、そして百年後芸術祭が開催されることとなりました。ようやく地域の方々に明るい話題をお届けできるようになってきたので、この百年後芸術祭をひとつのきっかけにして、外に出て自然に触れ、そしてアートを見ていただきたいと思っています。 Photo:Eri MasudaInterview :Kana Yokota  text :Tomoya Kuga

フラム海苔ノリ通信Vol.2

内房総アートフェス

2024.04.07

フラム海苔ノリ通信Vol.2

4月6日、菜種梅雨の中、京葉臨海工業地帯が成立する半世紀前に作られた富津公園のジャンボプールの水がゆっくりと流れる中、客席とパフォーマーが一体化する空間で「不思議な愛な富津岬」というタイトルの「通底縁劇・通底音劇」が開催されました。 通底縁劇・通底音劇「不思議な愛な富津岬」会場の様子 Photo by Osamu Nakamura 小林武史さんのスペシャルバンドが演奏し、アイナ・ジ・エンドが唄う約1時間、ひびのこづえの海中の愉快な生き物と、それに同化したアオイヤマダら東京QQQのメンバーが10体、踊り、走り、ボートに乗り、エアリアルをするという特別な時間でした。 通底縁劇・通底音劇「不思議な愛な富津岬」会場の様子 Photo by Osamu Nakamura 私は音楽の世界に疎いけれど、これが全力で立ち向かった人体と衣装とのカーニバルだということが伝わってくる。小林武史はこの大変な音楽の他ジャンルとの協働を5市のそれぞれの場で違った形でやるのだと思うと震えがきたと報告しておきたい。とにかく楽しいし、ジャンルや形式や表現方法が異なるものを縦・横・斜めに共通の時空間でクロスさせることが、私たちの身体と気持ちを不思議にゆるやかにさせてくれる体験をしたのです。これからの5公演に期待です。 開発好明「100人先生の10本ノック」/「リサイクルビート先生」 その40分後、私は袖ケ浦市郷土博物館の開発好明さんのプロジェクト「100人先生の10本ノック」の「リサイクルビート先生」に立ち合いました。既に藤代かおるさん(上総掘り技術伝承研究会副会長)の「上総掘り先生」は終了していて残念なのですが、塩谷亜弓さん(ドラム・パーカッション奏者)のこの場には大人・子ども40人くらいが、ドラム缶、鍋、炊飯器、コップ、ばね、筒段ボール、何十種類もの使用済みの楽器素材をかきまわっているのでした。はまりそう。 この郷土博物館は立派で、地元の人たちの見識がある。現代から先史時代へ遡ること。史料研究誌がずっと出ているとのこと。そのうえ、特別展(今日は金谷遺跡でした)をやっているとのこと、土器作りの会、機織りの会など7つのサークルがあること等です。公園と一体化した素晴らしい施設で、そこをベースにアーチストの作品があって嬉しくなりました。 最後は君津市の八重原公民館で、佐藤悠さんの作品のなかで石井宏子君津市長と君津の海苔と製鉄にまつわる対談でした。 忙しいけれどいろいろ体験しに行きたいと思いました。 北川フラム

フラム海苔ノリ通信 Vol.1

内房総アートフェス

2024.04.04

フラム海苔ノリ通信 Vol.1

アートディレクター・北川フラムが綴るコラムを定期的にお届けします。 槙原泰介「オン・ザ・コース」Photo by Osamu Nakamura -木更津市- ついさっきまで開いていたと思えるような町の本屋さん。その主人の人となりが思い浮かぶような店先を借りて、槙原泰介の干潟についての展示がある。地図や干潟についての写真や観察、干潟観察ツアーのポスター等々。木更津の干潟の一部は工場地帯に変化したけれども、したたかに残っているところもあって、作家はそこに変わらぬ関心をもっている。その混在した店内は一味も二味もあって、何気ない容器にはメダカが飼われている。合理一辺倒ではない町の店の大切さがあって嬉しい。これはこの内房総アートフェスのベースになる傑作だと思いました。豪雨のあとの雨あがり、その干潟巡りに行きたかったが、果たせなかった。残念。まだ4月13日(土)、4月28日(日)、5月11日(土)にあるのでお誘いです。この豪雨のせいで旧里見小学校(市原市)での「おにぎりのための運動会!」も中止。これも4月27日(土)と5月18日(土)にありますよ。 槙原泰介干潟ツアーの様子 EAT&ART TARO「おにぎりのための運動会!」(市原市)Photo by Osamu Nakamura 近くの倉庫に小谷元彦の「V (仮設のモニュメント5)」が不思議な迫力で鎮座しています。小谷の作品は、情報と物が溢れている現在の「神」が突如間違って登場したように感じられるものですが、それを支えている技術が見せ場になっています。 小谷元彦「V (仮設のモニュメント5)」Photo by Osamu Nakamrua -君津市- 八重原公民館は、京葉臨海工業地帯が出来始める約50年前から、多くの移住者が集まってきた団地の中にあり、今も盛んに活動しています。外に海苔が天日干しされているように見える、たくさんの瓦板が並べられていて、その鉄でできている海苔板を叩いて楽しんでいる人もいます。古い大判の写真も貼られていて、日本製鉄という世界有数の製鉄所がこの地に与えた影響を知ることができます。2万人を超える人が全国から集まってきました。深澤孝史は地域の聞き取りの上手な作家で、その時にもたらされた「マテバシイ」という植物が海苔作りに良くて、そのまま大切にされたという話を、公民館の中庭の池で見せてくれています。 佐藤悠「おはなしの森 君津」Photo by Osamu Nakamura この公民館の中央ロビーには佐藤悠が所狭しと面白い展示をしていますが、佐藤の本領は”お話しおじさん”です。人が集まれば、観衆とのやり取りを絵に描いていく、その会話の媒介は地域についての知識です。人はおのずとこの地に親しみをもっていくという仕掛けです。 さわひらき「Lost and Found」Photo by Osamu Nakamura 近くの保育園が楽しい作品になっていて、さわひらきによるものです。園庭に面して4つの教室がありますが、その教室に入っていくごとに、それぞのれの部屋が暗くなり、それぞれの物語が部屋の道具、映像、照明の動きによって語られるというもので、保育園がもっている明るい楽しさが感じられるというものです。 保良雄「種まく人」 そこから少し行ったアパート群の一つの入口からは4階に向かっての一部屋ずつを昇っていくと、人の居なくなった部屋に外部の土と植物が入り込み、成長していく仕掛けの作品に出会います。君津にある4作品からは、その年の一世紀の時間が感じられるようです。 -袖ケ浦市- ダダン・クリスタント「カクラ・クルクル・イン・チバ」 袖ケ浦の作品がある一帯は、班田収授の法があった頃からの古い土地で、田甫の広さは変わっていないような豊かな場所で、インドネシアのバリ島にある鳥よけの風を受けて鳴る楽しいダダン・クリスタントの作品「カクラ・クルクル・イン・チバ」が50基カタカタと音を立てています。近くにある販売所の果物・野菜は旨さ、値段ともに魅力的なのでお薦め。 大貫仁美「たぐり、よせる、よすが、かけら」Photo by Osamu Nakamura 資料館を巡る美しい池を囲んだ袖ケ浦公園巡りは人気がありますが、その中の2基の竪穴式住居と歴史的建造物の旧進藤家には、大貫仁美のガラスの断片を中心とした作品が設えられてあります。旧進藤家では、周辺の人たちとのワークショップでの成果もありますが金継のように繊維がガラス化したシルエットが美しい。 東弘一郎「未来井戸」 そこから降りた所にはモノづくりの名人・東弘一郎の上総掘りが見事に作られて圧倒されます。(近くにカブトムシのバイオスフェアもあります) キム・テボン「SKY EXCAVATER」Photo by Osamu Nakamura 江戸湾を囲んで房総半島には更級日記以来、古い歴史があります。鎌倉殿は房総と三崎半島の一衣帯水の世界を往来したし、里見氏の栄枯盛衰もある。江戸時代は池波正太郎の小説に出てくるような江戸前の旨い食物があったり、良くも悪くも江戸を補完する土地でもあり、幕末からは国防の拠点ともなりました。臨海工業地帯へと変化したあと、アクアラインが画期をつくります。その「アクアラインなるほど館」という名の施設にはキム・テボンが、そのシールド工法が宇宙船のコクピットのように感じられたらしく、迫力ある展示をしましたが、ここには60年代の丹下健三の「東京計画」などの計画が一瞥されていて近代日本を肌で感じられるようになっています。 -富津市- 五十嵐靖晃「網の道」(下洲漁港)Photo by Osamu Nakamura 富津は内房線特急の停まる君津駅の先にあり、富津岬を抱える太平洋の外洋と接するところ。今もって、下洲漁港には海苔漁業者がたくさん居る。五十嵐靖晃はそこに迫力ある美しい海苔網を設置しました。海苔網は水面下数cmほどに設置します。どんな海苔を採るかにより幅20cmほどのマスは異なります。採取時にはこれを水面上1m以上に持ち上げ、いわば海苔網の下を漁船がくぐり海苔を落として集めるのです。それを陸で体験するのが、この作品の楽しいミソです。もともと漁師さんは富津地区4漁協(青堀・青堀南部・新井・富津)に所属していましたが、埋立を前にして現在の場所に移住しました(もとの場所の陸にも網は設置されています)。 岩崎貴宏「カタボリズムの海」 武藤亜希子「海の森-A+M+A+M+O」Photo by Osamu Nakamura この埋立記念館は楽しい海苔採りを含めた江戸湾一帯のよくできた資料館ですが、そこの和室に岩崎貴宏が醤油の海を作り、そこに船のミニチュアを浮かべています。障子紙越しに射してくる光の変化が美しい。その向かいに武藤亜希子さんのアマモをテーマにした空間があり、遊べます。 中﨑透「沸々と 沸き立つ想い 民の庭」Photo by Osamu Nakamrua この建物の隣に富津公民館があり、この入口と二階を使って中﨑透による、”4人の住民の語りによる文物を編集した、地域の生活のリアリティ”ーー「沸々と 沸き立つ想い 民の庭」が楽しめます。地域を歩く。そこに残されている道具や看板、雑誌・資料を集める。そこに生きている生活者に丁寧にインタビューして纏める。そこに氏独特の色付きアクリル板と照明を挟んで編集するというサイトスペシフィックアートの方法を展開しています。ここでは館内のホールを出ての階段や通路も使っていて、総合的な体験が可能です。 まずは第一報。 北川フラム