ストーリー

参加アーティストのインタビューや、アート・食・音楽に関する対談の様子、芸術祭のめぐり方やアート作品のご紹介など、百年後芸術祭にまつわるストーリーをお届けします。

豊かな自然やグルメなど、百年後芸術祭を機にまちの魅力をもっと知ってもらうべくさらなる“富津市磨き”をしていきたい。

富津市

2024.04.14

豊かな自然やグルメなど、百年後芸術祭を機にまちの魅力をもっと知ってもらうべくさらなる“富津市磨き”をしていきたい。

富津市長 高橋恭市 ---------「百年後芸術祭-内房総アートフェス-」開催の経緯をお聞かせください。 百年後芸術祭を開催する内房総5市(市原市、木更津市、君津市、袖ケ浦市、富津市)の内、富津市は最後にメンバーに加わりました。市原市を除いた4市を「かずさ4市」と呼称することがあります。各市それぞれに持ち味がありますが、豊かな自然とそこから生まれるグルメは富津市が一番だと自負しています。百年後芸術祭を通して実際に多くの方々に富津市を訪れていただき、富津市の魅力、本物の魅力を知っていただくことが私たちにとってのひとつの目的となっています。 富津市には鋸山美術館(旧金谷美術館)という民間美術館や、仏教遺跡や産業遺跡がある鋸山などがあり、これらを使った芸術活動は以前から行っていました。その取り組みに対する反応を見て芸術活動の効果は感じていましたので、百年後芸術祭で著名なアーティストの作品を展示していただき、市民の方々が触れられる機会を作っていただけることはすごく楽しみですし、地域の子どもたちにいい刺激を与えてくれると期待しています。 今回作品を展示するのは、富津市と海のつながりを紹介する富津埋立記念館をはじめ、市民の憩いの場となっている市民ふれあい公園や富津公民館となりますが、そこを起点に鋸山美術館や鋸山など地域を代表するスポットにも足を運んでいただけると、より深く富津市を知っていただけるでしょう。 作品を展示するにあたっては地元の方々にもご協力いただきました。先日たまたま会った漁師さんにも「この前、芸術祭の準備を手伝ったんだよ」と言われ、本当に地域で作っているんだなと感じていますので、私自身も見に行くのを楽しみにしています。 4月6日に開催された百年後芸術祭のライブパフォーマンス「不思議な愛な富津岬」は東京湾に突出した富津岬にある「千葉県立富津公園ジャンボプール」が舞台に。 中﨑透「沸々と 湧き立つ想い 民の庭」。埋め立て地に建つ「富津公民館」を中心とした、巡回型インスタレーション作品。地域に所縁のある4名の方にインタビューを行い、富津市の漁業や岬周辺の公園、海や街についての話を伺い、その言葉から引用した37のエピソードを会場内に配置し、エピソードとオブジェクト(制作した作品や備品、残置物を組み合わせたようなもの)を辿りながら富津市にまつわる物語を体験する。 五十嵐靖晃「網の道」。およそ50年前に行われた埋立開発は海の風景・漁場、人々の営みを変えてきたが、ここ富津の海では、海苔漁が受け継がれ今の姿がある。この地で先代を含んだ漁師たちと協働で海苔網の道を編み、これからの50年に向けて50年前の志気を編みつなぐ。富津岬を挟んだ南北2つの網の道を歩き、水際の風景を眺めながら、地域社会の変容を体感すると共に、人と海の関係の100年後を想像してみる。 ---------「豊かな自然とそこから生まれるグルメ」を挙げていただきましたが、その他に富津市にはどのような魅力があるのでしょうか。 先ほど紹介した鋸山は観光客の方には是非見ていただきたいスポットですし、お子さま連れをはじめ幅広い年代に楽しんでもらえる場所としてはマザー牧場がありますが、何と言っても一番の自慢は海も山もあるということです。富津市の海はいわゆる江戸前の最も南に位置していて、ここで取れる海産物はどこに出しても恥ずかしくないものだと自信を持って言えます。ただし、近年は不漁に苦しんでもいますので、漁師さんや飲食店を応援する意味でも現地に来て本物を召し上がっていただきたいですね。その他にも、ご当地ラーメンの竹岡式ラーメン、私たちは「はかりめ」と呼んでいるアナゴ料理、メロンやイチゴといった果物など、おいしいものはたくさんあります。 富津市の人気和食店「味のかん七」の「はかりめ丼」。 穴子は細長い体に規則正しく白い点々模様があり、それが棒はかりの目のようであったことから、富津市の市場用語で「はかりめ」と呼ばれていたという。 景観も大きな魅力でしょう。富津市からは東京湾越しの富士山が見えます。日本全国どこからでも見えるものではなく、私たち富津市民の自慢の1つです。富津市内から富士山が見えるポイントはいくつもありますが、見る場所や気候条件によって少しずつ見え方が違っていますので、市内をくまなく巡り、ここでしか見られない富士山の多彩な表情を楽しんでいただきたいですね。 富津市役所から眺める富士山。 東京湾に細く突き出た富津岬。突端までの木のトンネルも雰囲気がある。 富津岬突端にある明治百年記念展望塔 もうひとつ挙げられるのは都心からの距離感です。私もこの富津市で生まれ育った人間ですが、若い頃は田舎に対してマイナスイメージを持っていましたし、夜になると真っ暗になってしまう町が嫌で、都会に対する憧れを持っていました。でも社会に出ていろいろな人と出会い、仕事を通じて地域に根ざす活動を始めてみると、やっぱり富津市は良いところなんだなと思えるようになりました。アクアラインを使えば1時間半ほどで東京にも出られることを考えると、「ちょうど良い田舎」と言えるんですよね。富津市はかずさ4市の中でも少子高齢化が特に進んでいて、人口減少や空き家などの問題も増えています。それでもこの数年間でその「ちょうど良さ」が注目され、移住してきてくれる若い方や、この地に別荘を構える方も増えてきています。そうした人々に対して、富津市の自然のように時代が新しくなっても簡単にはつくれないものを継承し、生かし、今の時代に生きる人々の希望になるような方向へ進めていくことが私たちの使命だと思っていますし、そのためにも我々が持っている魅力をもっと磨く“富津市磨き”をしていかなければなりません。こうした思いは百年後芸術祭にも共通しているポイントなのでしょう。 ---------100年後の富津市がどのような地域になっていてもらいたいとお考えでしょうか。 残さなくてはならないものがしっかりと残っている未来だといいなと思っています。我々の場合は自然がその最たるものですが、やはり一度手を付けてしまうと簡単に元に戻すことはできません。富津市は東京に最も近い本物の自然のある地域だと思っていますので、今の時代に生きる私たちが努力して、100年後にも残る本物の自然を守っていかなければならないでしょう。 自然という観点では、ジビエもキーワードになってくるでしょう。近年全国的に猪や鹿といった有害鳥獣の存在が問題になっていますが、そうした生物と共存しながらも管理していくことが大切になっていきますし、その生命をできる限り有効活用していくべきだと思っています。そのためにいろいろな方のお知恵をいただきながら、ジビエの活性化も進めていきたいですね。 人口面では、この地で生まれた子どもたちに、社会の中心世代になってからもここでの生活を選んでもらうための努力が必要です。そのためには行政が一定の利便性を確保していかなければならないので、「田舎のままでいいや」という思いでいてはなりませんし、子育てや教育、健康といった生活の根幹部分で他地域に負けないようなレベルを保っていきたいと思っています。 ---------最後に、「百年後芸術祭」に興味を持ってくださっている方にメッセージをお願いします。 2023年9月のスタート以降いくつかのイベントに参加させていただきましたが、私自身現代アートに触れる機会はあまりなかったので、正直なところはじめのうちは「え?」「これはいったいなんだろう?」と思うこともありました。でも、だんだんと引き込まれていき、圧倒されることもありました。それに多くの人が感心している様子を見ると、この分野には多くの可能性があると感じるようになってきました。富津市の伝統文化も、もっと自信を持って取り組んでいったり、少し形を変えてアピールしていくと、より素敵なものになり、注目も集められるかもしれないですよね。 そういったさまざまな発見がある芸術祭を通して富津市にも訪れていただきたいのですが、その際には自動車で移動するだけでなく、徒歩でも市内を巡ってもらうことをおすすめします。富津市ではウォーキングイベントを頻繁に開催していて、私も定期的に参加するのですが、長年この地で暮らしている私でも歩く度に新しい発見がありますし、都会で生活している方には珍しい風景を楽しんでいただくこともできるでしょう。そういったものを味わっていただけると、私たちもとても嬉しいです。 Photo:Eri Masuda Interview:Kana Yokota  text :Tomoya Kuga

フラム海苔ノリ通信Vol.2

内房総アートフェス

2024.04.07

フラム海苔ノリ通信Vol.2

4月6日、菜種梅雨の中、京葉臨海工業地帯が成立する半世紀前に作られた富津公園のジャンボプールの水がゆっくりと流れる中、客席とパフォーマーが一体化する空間で「不思議な愛な富津岬」というタイトルの「通底縁劇・通底音劇」が開催されました。 通底縁劇・通底音劇「不思議な愛な富津岬」会場の様子 Photo by Osamu Nakamura 小林武史さんのスペシャルバンドが演奏し、アイナ・ジ・エンドが唄う約1時間、ひびのこづえの海中の愉快な生き物と、それに同化したアオイヤマダら東京QQQのメンバーが10体、踊り、走り、ボートに乗り、エアリアルをするという特別な時間でした。 通底縁劇・通底音劇「不思議な愛な富津岬」会場の様子 Photo by Osamu Nakamura 私は音楽の世界に疎いけれど、これが全力で立ち向かった人体と衣装とのカーニバルだということが伝わってくる。小林武史はこの大変な音楽の他ジャンルとの協働を5市のそれぞれの場で違った形でやるのだと思うと震えがきたと報告しておきたい。とにかく楽しいし、ジャンルや形式や表現方法が異なるものを縦・横・斜めに共通の時空間でクロスさせることが、私たちの身体と気持ちを不思議にゆるやかにさせてくれる体験をしたのです。これからの5公演に期待です。 開発好明「100人先生の10本ノック」/「リサイクルビート先生」 その40分後、私は袖ケ浦市郷土博物館の開発好明さんのプロジェクト「100人先生の10本ノック」の「リサイクルビート先生」に立ち合いました。既に藤代かおるさん(上総掘り技術伝承研究会副会長)の「上総掘り先生」は終了していて残念なのですが、塩谷亜弓さん(ドラム・パーカッション奏者)のこの場には大人・子ども40人くらいが、ドラム缶、鍋、炊飯器、コップ、ばね、筒段ボール、何十種類もの使用済みの楽器素材をかきまわっているのでした。はまりそう。 この郷土博物館は立派で、地元の人たちの見識がある。現代から先史時代へ遡ること。史料研究誌がずっと出ているとのこと。そのうえ、特別展(今日は金谷遺跡でした)をやっているとのこと、土器作りの会、機織りの会など7つのサークルがあること等です。公園と一体化した素晴らしい施設で、そこをベースにアーチストの作品があって嬉しくなりました。 最後は君津市の八重原公民館で、佐藤悠さんの作品のなかで石井宏子君津市長と君津の海苔と製鉄にまつわる対談でした。 忙しいけれどいろいろ体験しに行きたいと思いました。 北川フラム

フラム海苔ノリ通信 Vol.1

内房総アートフェス

2024.04.04

フラム海苔ノリ通信 Vol.1

アートディレクター・北川フラムが綴るコラムを定期的にお届けします。 槙原泰介「オン・ザ・コース」Photo by Osamu Nakamura -木更津市- ついさっきまで開いていたと思えるような町の本屋さん。その主人の人となりが思い浮かぶような店先を借りて、槙原泰介の干潟についての展示がある。地図や干潟についての写真や観察、干潟観察ツアーのポスター等々。木更津の干潟の一部は工場地帯に変化したけれども、したたかに残っているところもあって、作家はそこに変わらぬ関心をもっている。その混在した店内は一味も二味もあって、何気ない容器にはメダカが飼われている。合理一辺倒ではない町の店の大切さがあって嬉しい。これはこの内房総アートフェスのベースになる傑作だと思いました。豪雨のあとの雨あがり、その干潟巡りに行きたかったが、果たせなかった。残念。まだ4月13日(土)、4月28日(日)、5月11日(土)にあるのでお誘いです。この豪雨のせいで旧里見小学校(市原市)での「おにぎりのための運動会!」も中止。これも4月27日(土)と5月18日(土)にありますよ。 槙原泰介干潟ツアーの様子 EAT&ART TARO「おにぎりのための運動会!」(市原市)Photo by Osamu Nakamura 近くの倉庫に小谷元彦の「V (仮設のモニュメント5)」が不思議な迫力で鎮座しています。小谷の作品は、情報と物が溢れている現在の「神」が突如間違って登場したように感じられるものですが、それを支えている技術が見せ場になっています。 小谷元彦「V (仮設のモニュメント5)」Photo by Osamu Nakamrua -君津市- 八重原公民館は、京葉臨海工業地帯が出来始める約50年前から、多くの移住者が集まってきた団地の中にあり、今も盛んに活動しています。外に海苔が天日干しされているように見える、たくさんの瓦板が並べられていて、その鉄でできている海苔板を叩いて楽しんでいる人もいます。古い大判の写真も貼られていて、日本製鉄という世界有数の製鉄所がこの地に与えた影響を知ることができます。2万人を超える人が全国から集まってきました。深澤孝史は地域の聞き取りの上手な作家で、その時にもたらされた「マテバシイ」という植物が海苔作りに良くて、そのまま大切にされたという話を、公民館の中庭の池で見せてくれています。 佐藤悠「おはなしの森 君津」Photo by Osamu Nakamura この公民館の中央ロビーには佐藤悠が所狭しと面白い展示をしていますが、佐藤の本領は”お話しおじさん”です。人が集まれば、観衆とのやり取りを絵に描いていく、その会話の媒介は地域についての知識です。人はおのずとこの地に親しみをもっていくという仕掛けです。 さわひらき「Lost and Found」Photo by Osamu Nakamura 近くの保育園が楽しい作品になっていて、さわひらきによるものです。園庭に面して4つの教室がありますが、その教室に入っていくごとに、それぞのれの部屋が暗くなり、それぞれの物語が部屋の道具、映像、照明の動きによって語られるというもので、保育園がもっている明るい楽しさが感じられるというものです。 保良雄「種まく人」 そこから少し行ったアパート群の一つの入口からは4階に向かっての一部屋ずつを昇っていくと、人の居なくなった部屋に外部の土と植物が入り込み、成長していく仕掛けの作品に出会います。君津にある4作品からは、その年の一世紀の時間が感じられるようです。 -袖ケ浦市- ダダン・クリスタント「カクラ・クルクル・イン・チバ」 袖ケ浦の作品がある一帯は、班田収授の法があった頃からの古い土地で、田甫の広さは変わっていないような豊かな場所で、インドネシアのバリ島にある鳥よけの風を受けて鳴る楽しいダダン・クリスタントの作品「カクラ・クルクル・イン・チバ」が50基カタカタと音を立てています。近くにある販売所の果物・野菜は旨さ、値段ともに魅力的なのでお薦め。 大貫仁美「たぐり、よせる、よすが、かけら」Photo by Osamu Nakamura 資料館を巡る美しい池を囲んだ袖ケ浦公園巡りは人気がありますが、その中の2基の竪穴式住居と歴史的建造物の旧進藤家には、大貫仁美のガラスの断片を中心とした作品が設えられてあります。旧進藤家では、周辺の人たちとのワークショップでの成果もありますが金継のように繊維がガラス化したシルエットが美しい。 東弘一郎「未来井戸」 そこから降りた所にはモノづくりの名人・東弘一郎の上総掘りが見事に作られて圧倒されます。(近くにカブトムシのバイオスフェアもあります) キム・テボン「SKY EXCAVATER」Photo by Osamu Nakamura 江戸湾を囲んで房総半島には更級日記以来、古い歴史があります。鎌倉殿は房総と三崎半島の一衣帯水の世界を往来したし、里見氏の栄枯盛衰もある。江戸時代は池波正太郎の小説に出てくるような江戸前の旨い食物があったり、良くも悪くも江戸を補完する土地でもあり、幕末からは国防の拠点ともなりました。臨海工業地帯へと変化したあと、アクアラインが画期をつくります。その「アクアラインなるほど館」という名の施設にはキム・テボンが、そのシールド工法が宇宙船のコクピットのように感じられたらしく、迫力ある展示をしましたが、ここには60年代の丹下健三の「東京計画」などの計画が一瞥されていて近代日本を肌で感じられるようになっています。 -富津市- 五十嵐靖晃「網の道」(下洲漁港)Photo by Osamu Nakamura 富津は内房線特急の停まる君津駅の先にあり、富津岬を抱える太平洋の外洋と接するところ。今もって、下洲漁港には海苔漁業者がたくさん居る。五十嵐靖晃はそこに迫力ある美しい海苔網を設置しました。海苔網は水面下数cmほどに設置します。どんな海苔を採るかにより幅20cmほどのマスは異なります。採取時にはこれを水面上1m以上に持ち上げ、いわば海苔網の下を漁船がくぐり海苔を落として集めるのです。それを陸で体験するのが、この作品の楽しいミソです。もともと漁師さんは富津地区4漁協(青堀・青堀南部・新井・富津)に所属していましたが、埋立を前にして現在の場所に移住しました(もとの場所の陸にも網は設置されています)。 岩崎貴宏「カタボリズムの海」 武藤亜希子「海の森-A+M+A+M+O」Photo by Osamu Nakamura この埋立記念館は楽しい海苔採りを含めた江戸湾一帯のよくできた資料館ですが、そこの和室に岩崎貴宏が醤油の海を作り、そこに船のミニチュアを浮かべています。障子紙越しに射してくる光の変化が美しい。その向かいに武藤亜希子さんのアマモをテーマにした空間があり、遊べます。 中﨑透「沸々と 沸き立つ想い 民の庭」Photo by Osamu Nakamrua この建物の隣に富津公民館があり、この入口と二階を使って中﨑透による、”4人の住民の語りによる文物を編集した、地域の生活のリアリティ”ーー「沸々と 沸き立つ想い 民の庭」が楽しめます。地域を歩く。そこに残されている道具や看板、雑誌・資料を集める。そこに生きている生活者に丁寧にインタビューして纏める。そこに氏独特の色付きアクリル板と照明を挟んで編集するというサイトスペシフィックアートの方法を展開しています。ここでは館内のホールを出ての階段や通路も使っていて、総合的な体験が可能です。 まずは第一報。 北川フラム

「自分が生きてる間に、百年後に続く何かをしないといけない。自分がつくったものがゴミになってはいけないなと思います」

内房総アートフェス

2024.02.20

「自分が生きてる間に、百年後に続く何かをしないといけない。自分がつくったものがゴミになってはいけないなと思います」

コスチューム・アーティスト ひびのこづえ ---------ひびのさんは、en Live Art Performanceの衣装を担当されていますが、百年後芸術祭に関わることになったきっかけは? 私はコスチューム・アーティストとして、服をアートとして、ダンス・パフォーマンスをつくったり、野田秀樹さんの舞台の衣装に関わったり、NHK E テレ「にほんごであそぼ」のセット衣装をつくったりと、とにかく、人に関わるものを作り続けてきました。百年後芸術祭に関わるきっかけは、この芸術祭のクリエイティブディレクターでもある大木秀晃さんの存在がありました。東京オリンピック2020の企画の一つで「わっさい」というオンラインイベントがあったのですが、大木さんに声をかけてもらい、衣装デザイナーとして関わることになったんです。ダンサーのアオイヤマダさんや高村月さん、KUMIさんもこの時のイベントで初めてご一緒したのですが、すごくユニークなダンサーの方々でした。ふだん私はコンテンポラリーのダンサーとのお仕事が多かったのですが、その枠を飛び出した表現方法で活躍されている方々とのお仕事を通してとても感動も味わっていた中でのお誘いでしたので、お受けさせていただきました。 ---------en Live Art Performanceのコンセプトを受けてどんな衣装のイメージを考えられたのでしょうか? まず最初に芸術祭や「en」というコンセプトをお聞きして、大枠は分かるけれど、このプロジェクトをどうやってつくっていくのかを理解するのに戸惑いましたね。ポールダンサーのKUMIさんとダンサーの高村月さんが出演されるということですが、小林武史さんがイメージされているパフォーマンスの世界観がどういったものなのか、そのための衣装をどうやってつくったらいいか悩みながら、手探りで進めていった感じです。 いつもそうなのですが、かたちになっているものから引き算するのではなくて、かたちのないものに足していくので、これが本当に正解かどうかは今でもわからないけれど、でもいろんなクリエイターが小林さんを中心に集まって、いろんな謎解きをしていってできたものがこれなんだろうなという風には思います。小林さんや大木さんからいただいたストーリーや言葉の一端を衣装に置き換えるということをしていきました。 ---------KUMIさんも高村月さんの衣装もとても印象的で、惹き込まれるものがありました。 実際に制作した衣装は3種類です。高村月さんの最初のお面をつけた衣装と最後の衣装、KUMIさんが曼荼羅の中心にいる人のようなイメージの衣装です。ポールダンスって、衣装を身に付けていない方が楽じゃないですか。そういう意味で、衣装があることでKUMIさんの技を封印してしまって申し訳ないなという気持ちもありつつ、ただ、あの3メートルの棒の上に重力を超えて軽やかに踊るKUMIさんの姿がとても神々しいんですね。その神々しさを表現したいという思いがあったのと、重力に抗って動くKUMIさんに対して浮遊するバルーンをつけるという、相反しているのだけれど、引いてみると一つのフォルムにまとまって見える。時空を超える存在に見えると思ったので、今回はKUMIさんに頑張ってもらいました。 月さんに関しては、映像とのシンクロしたメッセージがあったので、それをどう形にすればいいのかを考えました。舞台が全部明るいわけじゃない空間で、闇の中を彷徨うような、そういうイメージが映像の中にもありましたけど、闇に溶けずに、光を味方にできるような衣装にしなくちゃいけないなというイメージでつくりました。後半の衣装はとにかく、月さんが動いてくれることで衣装が「円」になるというものをつくりたかった。だから円になるために月さんはずっと踊り続けなくてはいけないんですよ。でも、それが「en」っていうことなんじゃないかなと。円や縁をキープすることって相当な努力が必要なんだなって、月さんの踊りを見ていて、改めて感じました。衣装って、着る人に負荷をかけてしまうから、どんな仕事でも「ごめんなさいね」ってつい言ってしまうのですが、それでもみんなが目指すところに向かってくれる表現者たちのパワーに敬服します。 ひびのさんによる衣装デッサン ---------初公演を終えての感想は? 観客の方はそこまで感じないかもしれないのですが、一時間ほどのステージの中で、KUMIさんと月さんのお二人が衣装を着て踊る姿を見ながら、絡まずに踊れるかなとか、私はライブパフォーマンスを見守っている時が一番ドキドキするんです。でもそれが生身の人間が動くこと、演じることの危うさであり、生で魅せることの面白さでもあるなと思うんです。 ---------長年、衣装デザイナーとして経験を重ねていらっしゃるので、生身の人間を舞台の上で引き立たせるという事はお手のものかと思うのですが、そんなひびのさんでも難しさを感じることはあるのでしょうか? もちろんありますよ。こうした方がよかったかなとか、もし巻き戻せるならここ気をつけようとか。そういう意味では、一度限りではないこのen Live Art Performanceは回を経て進化していくのかもしれません。やっぱり、人ってモノではないから、その時々で感覚も体調も変わりますし、初演を開催した市原とKURKKU FIELDSでは場所の雰囲気が全然違いますから、みんなにとって毎回新しい発見があることは大きいと思います。できれば全国各地で何度も公演を重ねていけたらいいなと思っています。 ---------百年後と聞いてイメージするものはありますか? 「あ、自分はいないな」と、最初に思いますよね(笑)。でも、100年後に責任をきちんと持たないといけないんだなっていうのを、改めて自分にも言われているという感覚を持ちましたね。自分が生きてる間に、百年後に続く何かをしないといけないと感じます。デザインやファッションの世界の百年後でいうと、自分がつくったものがゴミになってはいけないなとは思います。みんながそれぞれつくったものを一回限りで捨てないこと、いいものだったら残っていくので、そういうものを生み出すことがもっと大事になっていくと思います。それは高度経済成長時代で日本人が忘れてしまったものでもあると思っていて、新しいものを生み出すことに必死になって、少しずついいものを生み出すということから離れてしまっていたような気がします。 ---------ひびのさんは日々どんなことから創作のインスピレーションを得ているのでしょうか? やはり、自然からのインスピレーションが大きいですね。自分が子どもの頃育った場所の空の色や緑など、日本の自然環境の影響が大きいと思います。初めてパリに行ったときに、なぜフランス人の描く空の色が違うのだろうとずっと思っていたことがはっきりしたことがあったんですね。本当に空の色が違ったんです。ほかにも、歌舞伎の衣装を手がけた時に、しっくりくるなという感覚を持ったことも大きくて、派手な色ではなく、日本の伝統文化に残っている、日本の環境にある色を自然に使っていたんだなということを確認できたんです。日本人であるということ、日本らしさというものが創作の原点になっていると思います。 ---------最後に、百年後芸術祭に関心を寄せてくださっている方へのメッセージや期待などがあればお願いします。 衣装の中にいるダンサーたちの身体とか、気持ちとか、感覚など、そこまでみんなが感じ取ってもらえたらいいなと思います。個人的には本当はもっと長く踊ってほしい(笑)。そうしたらもっと伝わるんだろうなと思っています。百年後芸術祭に関しての期待は、とにかく続けること。百年後まで続けないと、答えは見つからないと思います。 Interview & text:Kana Yokota