ストーリー

参加アーティストのインタビューや、アート・食・音楽に関する対談の様子、芸術祭のめぐり方やアート作品のご紹介など、百年後芸術祭にまつわるストーリーをお届けします。

フラム海苔ノリ通信Vol.4

内房総アートフェス

2024.05.03

フラム海苔ノリ通信Vol.4

4月27(土)、雨でしたが「おにぎりのための運動会!」挙行。旧里見小学校の豊福亮さん監修の《里見プラントミュージアム》で開会式。 豊福亮が手がけた《里見プラントミュージアム》での開会式(EAT&ART TARO《おにぎりのための運動会!》)Photo by Osamu Nakamura Photo by Osamu Nakamura Photo by Osamu Nakamura 玉入れに参加し、白鳥公民館での「時速30kmの銀河の旅」の観劇です。雨は11時頃から上がり、「おにぎりころがし」「綱引き」はグラウンドでやれたそうで、観劇のあと旧里見小のキッチンで待望のおにぎりを食べました。おいしい。5月18日(土)にもあるのでぜひご参加を!》詳細・参加申込はこちら 時速30kmの銀河の旅《終着駅2024》Photo by Osamu Nakamura 午後2時頃、木更津市の干潟にSIDE COREの《dream house》を見に行きました。アクアラインの手前にある島のような洲に実際の1/5くらいの、かつてメンバーの木更津市に住んでいた高須咲恵さんの家を再現したもので、写真では本物のように見えるのですが、実際は小さいもので、実に楽しい。 SIDE CORE 《dream house》Photo by Osamu Nakamura この干潟にはホソウミニナが無数にいるし、小さな蟹を見つけていくとピタッと止まって分からなくなる。槙原さんの干潟ツアーはさぞ楽しいだろうと思いました。夜は菜の花プレーヤーズの集会に行きました。 槙原泰介の作品《オン・ザ・コース》に関連した干潟ツアー 菜の花プレーヤーズ集会 北川フラム

フラム海苔ノリ通信Vol.3

内房総アートフェス

2024.04.15

フラム海苔ノリ通信Vol.3

4月14日(日)。いつものように品川駅で朝食を摂り、一服して内房線で、今日は五井駅から車で上総牛久駅へ。 藤本壮介《里山トイレ》Photo by Osamu Nakamura 岩沢兄弟《でんせつのやたい》 藤本壮介さんのトイレは男1、女5、共用1で合理的だった。沼田侑香さんの肉屋さんと和菓子屋さんの作品と岩沢兄弟の電気屋さんの《でんせつのやたい》(電設の屋台)は牛久の商店街です。早期だったので肉屋さんでコロッケとアジフライは買えず、和菓子屋さんで買った梅餅と桜餅は相変わらず旨かった。 大西康明《境の石 養老川》 大西康明さんの《境の石 養老川》は旧信用金庫内に一つひとつの石から型取りした銅の花弁が無数に空間に流れているような作品で、不思議な感覚でした。 柳建太郎《KINETIC PLAY》Photo by Osamu Nakamura 印西市の漁師でもある柳建太郎さんは人も知るガラス細工の名人ですが、商店街に工房を構えていて超絶技巧は見ものでした。壁に掛けられた時計と、時計の機械だけ剥き出しの20個ほどが、妙にガラスに合っていると感心しました。 豊福亮《牛久名画座》Photo by Osamu Nakamura 千田泰広《アナレンマ》Photo by Osamu Nakamura 豊福亮さんの《牛久名画座》も見応えがあります。千田泰広さんの《アナレンマ》の無数の意図と光の交錯は驚くべきものでした。 笹岡由梨子《Animale(アニマーレ)》 Photo by Osamu Nakamura 笹岡由梨子《Animale(アニマーレ)》 Photo by Osamu Nakamura 旧平三小学校で前回見れなかった笹岡由梨子さんの《Animale(アニマーレ)》は三体のオブジェ。それぞれに鍵盤楽器、ラッパ、太鼓が組み込まれていて、目と唇の映像が映しこまれている…と言っても何も説明にならない…けれども「教えてくれや、労働」という言葉をkeyに三体とも動物の必死で哀切のある、しかしユーモアともとれる訴えによって見る者の気楽な気分を揺さぶってくれる、お勧めの作品です。 森靖《Start up - Statue of Liberty》Photo by Osamu Nakamura ソカリ・ドグラス・カンプ《Peacetime》 森靖さんの木工房は作品が出来上がり始めていました(※会期中公開制作する作品)。ソカリ・ドグラス・カンプの鉄作品は完成して、グラウンドに展示されていましたが気持ちのよい出来でした EAT&ART TARO《SATOMI HIROBA》/塩田済シェフのホットサンド Photo by Osamu Nakamura 昼ごはんはベーコンホットサンドと、いちごミルクとパン。みんな上出来のおいしさでした。 ディン・Q・レ《絆を結ぶ》(市原湖畔美術館)Photo by 田村融市郎 市原湖畔美術館では、安田菜津紀さんの、日本に住んでいる外国人のお話です。皆さん、熱心に聞いていました。 梅田哲也《上架》Photo by Osamu Nakamura 梅田哲也《上架》 最後は木更津市です。梅田哲也さんの作品は旧市役所跡の車庫兼物置きで、ガラス球、網、バケツ、ロープや石や貝殻と現世での鳥の声は、飛行機の爆音が空間の中にあるのを、私たちは詩を読むように回るのですが、これが楽しい。グラウンドにはネットが絡まった立方形のポールがあって、そこから見上げる飛行機は印象的でした。 増田セバスチャン《Primal Pop》 駅のインフォメーションセンターで増田セバスチャンの仕事を見て帰りです。気持ちの良い晴日、特に旧平三小学校での桜は見事でした。 旧平三小学校の桜 北川フラム

フラム海苔ノリ通信Vol.2

内房総アートフェス

2024.04.07

フラム海苔ノリ通信Vol.2

4月6日、菜種梅雨の中、京葉臨海工業地帯が成立する半世紀前に作られた富津公園のジャンボプールの水がゆっくりと流れる中、客席とパフォーマーが一体化する空間で「不思議な愛な富津岬」というタイトルの「通底縁劇・通底音劇」が開催されました。 通底縁劇・通底音劇「不思議な愛な富津岬」会場の様子 Photo by Osamu Nakamura 小林武史さんのスペシャルバンドが演奏し、アイナ・ジ・エンドが唄う約1時間、ひびのこづえの海中の愉快な生き物と、それに同化したアオイヤマダら東京QQQのメンバーが10体、踊り、走り、ボートに乗り、エアリアルをするという特別な時間でした。 通底縁劇・通底音劇「不思議な愛な富津岬」会場の様子 Photo by Osamu Nakamura 私は音楽の世界に疎いけれど、これが全力で立ち向かった人体と衣装とのカーニバルだということが伝わってくる。小林武史はこの大変な音楽の他ジャンルとの協働を5市のそれぞれの場で違った形でやるのだと思うと震えがきたと報告しておきたい。とにかく楽しいし、ジャンルや形式や表現方法が異なるものを縦・横・斜めに共通の時空間でクロスさせることが、私たちの身体と気持ちを不思議にゆるやかにさせてくれる体験をしたのです。これからの5公演に期待です。 開発好明「100人先生の10本ノック」/「リサイクルビート先生」 その40分後、私は袖ケ浦市郷土博物館の開発好明さんのプロジェクト「100人先生の10本ノック」の「リサイクルビート先生」に立ち合いました。既に藤代かおるさん(上総掘り技術伝承研究会副会長)の「上総掘り先生」は終了していて残念なのですが、塩谷亜弓さん(ドラム・パーカッション奏者)のこの場には大人・子ども40人くらいが、ドラム缶、鍋、炊飯器、コップ、ばね、筒段ボール、何十種類もの使用済みの楽器素材をかきまわっているのでした。はまりそう。 この郷土博物館は立派で、地元の人たちの見識がある。現代から先史時代へ遡ること。史料研究誌がずっと出ているとのこと。そのうえ、特別展(今日は金谷遺跡でした)をやっているとのこと、土器作りの会、機織りの会など7つのサークルがあること等です。公園と一体化した素晴らしい施設で、そこをベースにアーチストの作品があって嬉しくなりました。 最後は君津市の八重原公民館で、佐藤悠さんの作品のなかで石井宏子君津市長と君津の海苔と製鉄にまつわる対談でした。 忙しいけれどいろいろ体験しに行きたいと思いました。 北川フラム

フラム海苔ノリ通信 Vol.1

内房総アートフェス

2024.04.04

フラム海苔ノリ通信 Vol.1

アートディレクター・北川フラムが綴るコラムを定期的にお届けします。 槙原泰介「オン・ザ・コース」Photo by Osamu Nakamura -木更津市- ついさっきまで開いていたと思えるような町の本屋さん。その主人の人となりが思い浮かぶような店先を借りて、槙原泰介の干潟についての展示がある。地図や干潟についての写真や観察、干潟観察ツアーのポスター等々。木更津の干潟の一部は工場地帯に変化したけれども、したたかに残っているところもあって、作家はそこに変わらぬ関心をもっている。その混在した店内は一味も二味もあって、何気ない容器にはメダカが飼われている。合理一辺倒ではない町の店の大切さがあって嬉しい。これはこの内房総アートフェスのベースになる傑作だと思いました。豪雨のあとの雨あがり、その干潟巡りに行きたかったが、果たせなかった。残念。まだ4月13日(土)、4月28日(日)、5月11日(土)にあるのでお誘いです。この豪雨のせいで旧里見小学校(市原市)での「おにぎりのための運動会!」も中止。これも4月27日(土)と5月18日(土)にありますよ。 槙原泰介干潟ツアーの様子 EAT&ART TARO「おにぎりのための運動会!」(市原市)Photo by Osamu Nakamura 近くの倉庫に小谷元彦の「V (仮設のモニュメント5)」が不思議な迫力で鎮座しています。小谷の作品は、情報と物が溢れている現在の「神」が突如間違って登場したように感じられるものですが、それを支えている技術が見せ場になっています。 小谷元彦「V (仮設のモニュメント5)」Photo by Osamu Nakamrua -君津市- 八重原公民館は、京葉臨海工業地帯が出来始める約50年前から、多くの移住者が集まってきた団地の中にあり、今も盛んに活動しています。外に海苔が天日干しされているように見える、たくさんの瓦板が並べられていて、その鉄でできている海苔板を叩いて楽しんでいる人もいます。古い大判の写真も貼られていて、日本製鉄という世界有数の製鉄所がこの地に与えた影響を知ることができます。2万人を超える人が全国から集まってきました。深澤孝史は地域の聞き取りの上手な作家で、その時にもたらされた「マテバシイ」という植物が海苔作りに良くて、そのまま大切にされたという話を、公民館の中庭の池で見せてくれています。 佐藤悠「おはなしの森 君津」Photo by Osamu Nakamura この公民館の中央ロビーには佐藤悠が所狭しと面白い展示をしていますが、佐藤の本領は”お話しおじさん”です。人が集まれば、観衆とのやり取りを絵に描いていく、その会話の媒介は地域についての知識です。人はおのずとこの地に親しみをもっていくという仕掛けです。 さわひらき「Lost and Found」Photo by Osamu Nakamura 近くの保育園が楽しい作品になっていて、さわひらきによるものです。園庭に面して4つの教室がありますが、その教室に入っていくごとに、それぞのれの部屋が暗くなり、それぞれの物語が部屋の道具、映像、照明の動きによって語られるというもので、保育園がもっている明るい楽しさが感じられるというものです。 保良雄「種まく人」 そこから少し行ったアパート群の一つの入口からは4階に向かっての一部屋ずつを昇っていくと、人の居なくなった部屋に外部の土と植物が入り込み、成長していく仕掛けの作品に出会います。君津にある4作品からは、その年の一世紀の時間が感じられるようです。 -袖ケ浦市- ダダン・クリスタント「カクラ・クルクル・イン・チバ」 袖ケ浦の作品がある一帯は、班田収授の法があった頃からの古い土地で、田甫の広さは変わっていないような豊かな場所で、インドネシアのバリ島にある鳥よけの風を受けて鳴る楽しいダダン・クリスタントの作品「カクラ・クルクル・イン・チバ」が50基カタカタと音を立てています。近くにある販売所の果物・野菜は旨さ、値段ともに魅力的なのでお薦め。 大貫仁美「たぐり、よせる、よすが、かけら」Photo by Osamu Nakamura 資料館を巡る美しい池を囲んだ袖ケ浦公園巡りは人気がありますが、その中の2基の竪穴式住居と歴史的建造物の旧進藤家には、大貫仁美のガラスの断片を中心とした作品が設えられてあります。旧進藤家では、周辺の人たちとのワークショップでの成果もありますが金継のように繊維がガラス化したシルエットが美しい。 東弘一郎「未来井戸」 そこから降りた所にはモノづくりの名人・東弘一郎の上総掘りが見事に作られて圧倒されます。(近くにカブトムシのバイオスフェアもあります) キム・テボン「SKY EXCAVATER」Photo by Osamu Nakamura 江戸湾を囲んで房総半島には更級日記以来、古い歴史があります。鎌倉殿は房総と三崎半島の一衣帯水の世界を往来したし、里見氏の栄枯盛衰もある。江戸時代は池波正太郎の小説に出てくるような江戸前の旨い食物があったり、良くも悪くも江戸を補完する土地でもあり、幕末からは国防の拠点ともなりました。臨海工業地帯へと変化したあと、アクアラインが画期をつくります。その「アクアラインなるほど館」という名の施設にはキム・テボンが、そのシールド工法が宇宙船のコクピットのように感じられたらしく、迫力ある展示をしましたが、ここには60年代の丹下健三の「東京計画」などの計画が一瞥されていて近代日本を肌で感じられるようになっています。 -富津市- 五十嵐靖晃「網の道」(下洲漁港)Photo by Osamu Nakamura 富津は内房線特急の停まる君津駅の先にあり、富津岬を抱える太平洋の外洋と接するところ。今もって、下洲漁港には海苔漁業者がたくさん居る。五十嵐靖晃はそこに迫力ある美しい海苔網を設置しました。海苔網は水面下数cmほどに設置します。どんな海苔を採るかにより幅20cmほどのマスは異なります。採取時にはこれを水面上1m以上に持ち上げ、いわば海苔網の下を漁船がくぐり海苔を落として集めるのです。それを陸で体験するのが、この作品の楽しいミソです。もともと漁師さんは富津地区4漁協(青堀・青堀南部・新井・富津)に所属していましたが、埋立を前にして現在の場所に移住しました(もとの場所の陸にも網は設置されています)。 岩崎貴宏「カタボリズムの海」 武藤亜希子「海の森-A+M+A+M+O」Photo by Osamu Nakamura この埋立記念館は楽しい海苔採りを含めた江戸湾一帯のよくできた資料館ですが、そこの和室に岩崎貴宏が醤油の海を作り、そこに船のミニチュアを浮かべています。障子紙越しに射してくる光の変化が美しい。その向かいに武藤亜希子さんのアマモをテーマにした空間があり、遊べます。 中﨑透「沸々と 沸き立つ想い 民の庭」Photo by Osamu Nakamrua この建物の隣に富津公民館があり、この入口と二階を使って中﨑透による、”4人の住民の語りによる文物を編集した、地域の生活のリアリティ”ーー「沸々と 沸き立つ想い 民の庭」が楽しめます。地域を歩く。そこに残されている道具や看板、雑誌・資料を集める。そこに生きている生活者に丁寧にインタビューして纏める。そこに氏独特の色付きアクリル板と照明を挟んで編集するというサイトスペシフィックアートの方法を展開しています。ここでは館内のホールを出ての階段や通路も使っていて、総合的な体験が可能です。 まずは第一報。 北川フラム

「自分が生きてる間に、百年後に続く何かをしないといけない。自分がつくったものがゴミになってはいけないなと思います」

内房総アートフェス

2024.02.20

「自分が生きてる間に、百年後に続く何かをしないといけない。自分がつくったものがゴミになってはいけないなと思います」

コスチューム・アーティスト ひびのこづえ ---------ひびのさんは、en Live Art Performanceの衣装を担当されていますが、百年後芸術祭に関わることになったきっかけは? 私はコスチューム・アーティストとして、服をアートとして、ダンス・パフォーマンスをつくったり、野田秀樹さんの舞台の衣装に関わったり、NHK E テレ「にほんごであそぼ」のセット衣装をつくったりと、とにかく、人に関わるものを作り続けてきました。百年後芸術祭に関わるきっかけは、この芸術祭のクリエイティブディレクターでもある大木秀晃さんの存在がありました。東京オリンピック2020の企画の一つで「わっさい」というオンラインイベントがあったのですが、大木さんに声をかけてもらい、衣装デザイナーとして関わることになったんです。ダンサーのアオイヤマダさんや高村月さん、KUMIさんもこの時のイベントで初めてご一緒したのですが、すごくユニークなダンサーの方々でした。ふだん私はコンテンポラリーのダンサーとのお仕事が多かったのですが、その枠を飛び出した表現方法で活躍されている方々とのお仕事を通してとても感動も味わっていた中でのお誘いでしたので、お受けさせていただきました。 ---------en Live Art Performanceのコンセプトを受けてどんな衣装のイメージを考えられたのでしょうか? まず最初に芸術祭や「en」というコンセプトをお聞きして、大枠は分かるけれど、このプロジェクトをどうやってつくっていくのかを理解するのに戸惑いましたね。ポールダンサーのKUMIさんとダンサーの高村月さんが出演されるということですが、小林武史さんがイメージされているパフォーマンスの世界観がどういったものなのか、そのための衣装をどうやってつくったらいいか悩みながら、手探りで進めていった感じです。 いつもそうなのですが、かたちになっているものから引き算するのではなくて、かたちのないものに足していくので、これが本当に正解かどうかは今でもわからないけれど、でもいろんなクリエイターが小林さんを中心に集まって、いろんな謎解きをしていってできたものがこれなんだろうなという風には思います。小林さんや大木さんからいただいたストーリーや言葉の一端を衣装に置き換えるということをしていきました。 ---------KUMIさんも高村月さんの衣装もとても印象的で、惹き込まれるものがありました。 実際に制作した衣装は3種類です。高村月さんの最初のお面をつけた衣装と最後の衣装、KUMIさんが曼荼羅の中心にいる人のようなイメージの衣装です。ポールダンスって、衣装を身に付けていない方が楽じゃないですか。そういう意味で、衣装があることでKUMIさんの技を封印してしまって申し訳ないなという気持ちもありつつ、ただ、あの3メートルの棒の上に重力を超えて軽やかに踊るKUMIさんの姿がとても神々しいんですね。その神々しさを表現したいという思いがあったのと、重力に抗って動くKUMIさんに対して浮遊するバルーンをつけるという、相反しているのだけれど、引いてみると一つのフォルムにまとまって見える。時空を超える存在に見えると思ったので、今回はKUMIさんに頑張ってもらいました。 月さんに関しては、映像とのシンクロしたメッセージがあったので、それをどう形にすればいいのかを考えました。舞台が全部明るいわけじゃない空間で、闇の中を彷徨うような、そういうイメージが映像の中にもありましたけど、闇に溶けずに、光を味方にできるような衣装にしなくちゃいけないなというイメージでつくりました。後半の衣装はとにかく、月さんが動いてくれることで衣装が「円」になるというものをつくりたかった。だから円になるために月さんはずっと踊り続けなくてはいけないんですよ。でも、それが「en」っていうことなんじゃないかなと。円や縁をキープすることって相当な努力が必要なんだなって、月さんの踊りを見ていて、改めて感じました。衣装って、着る人に負荷をかけてしまうから、どんな仕事でも「ごめんなさいね」ってつい言ってしまうのですが、それでもみんなが目指すところに向かってくれる表現者たちのパワーに敬服します。 ひびのさんによる衣装デッサン ---------初公演を終えての感想は? 観客の方はそこまで感じないかもしれないのですが、一時間ほどのステージの中で、KUMIさんと月さんのお二人が衣装を着て踊る姿を見ながら、絡まずに踊れるかなとか、私はライブパフォーマンスを見守っている時が一番ドキドキするんです。でもそれが生身の人間が動くこと、演じることの危うさであり、生で魅せることの面白さでもあるなと思うんです。 ---------長年、衣装デザイナーとして経験を重ねていらっしゃるので、生身の人間を舞台の上で引き立たせるという事はお手のものかと思うのですが、そんなひびのさんでも難しさを感じることはあるのでしょうか? もちろんありますよ。こうした方がよかったかなとか、もし巻き戻せるならここ気をつけようとか。そういう意味では、一度限りではないこのen Live Art Performanceは回を経て進化していくのかもしれません。やっぱり、人ってモノではないから、その時々で感覚も体調も変わりますし、初演を開催した市原とKURKKU FIELDSでは場所の雰囲気が全然違いますから、みんなにとって毎回新しい発見があることは大きいと思います。できれば全国各地で何度も公演を重ねていけたらいいなと思っています。 ---------百年後と聞いてイメージするものはありますか? 「あ、自分はいないな」と、最初に思いますよね(笑)。でも、100年後に責任をきちんと持たないといけないんだなっていうのを、改めて自分にも言われているという感覚を持ちましたね。自分が生きてる間に、百年後に続く何かをしないといけないと感じます。デザインやファッションの世界の百年後でいうと、自分がつくったものがゴミになってはいけないなとは思います。みんながそれぞれつくったものを一回限りで捨てないこと、いいものだったら残っていくので、そういうものを生み出すことがもっと大事になっていくと思います。それは高度経済成長時代で日本人が忘れてしまったものでもあると思っていて、新しいものを生み出すことに必死になって、少しずついいものを生み出すということから離れてしまっていたような気がします。 ---------ひびのさんは日々どんなことから創作のインスピレーションを得ているのでしょうか? やはり、自然からのインスピレーションが大きいですね。自分が子どもの頃育った場所の空の色や緑など、日本の自然環境の影響が大きいと思います。初めてパリに行ったときに、なぜフランス人の描く空の色が違うのだろうとずっと思っていたことがはっきりしたことがあったんですね。本当に空の色が違ったんです。ほかにも、歌舞伎の衣装を手がけた時に、しっくりくるなという感覚を持ったことも大きくて、派手な色ではなく、日本の伝統文化に残っている、日本の環境にある色を自然に使っていたんだなということを確認できたんです。日本人であるということ、日本らしさというものが創作の原点になっていると思います。 ---------最後に、百年後芸術祭に関心を寄せてくださっている方へのメッセージや期待などがあればお願いします。 衣装の中にいるダンサーたちの身体とか、気持ちとか、感覚など、そこまでみんなが感じ取ってもらえたらいいなと思います。個人的には本当はもっと長く踊ってほしい(笑)。そうしたらもっと伝わるんだろうなと思っています。百年後芸術祭に関しての期待は、とにかく続けること。百年後まで続けないと、答えは見つからないと思います。 Interview & text:Kana Yokota 

「100年後の未来はこうなるだろうな」、「自分だったらこうしたいな」、そんな風に想像することもアート活動だと思うんです。

千葉県

2023.10.24

「100年後の未来はこうなるだろうな」、「自分だったらこうしたいな」、そんな風に想像することもアート活動だと思うんです。

千葉県誕生150周年記念事業 百年後芸術祭 クリエイティブディレクター 大木 秀晃 ---------「百年後芸術祭」に関わることになった経緯を教えてください 僕はこれまで広告の仕事をメインに携わってきました。コンセプトから関わり、どうコミュニケーションするのか、アウトプットなどのクリエイティブ部分まで一貫して作っていくということをやってきました。「百年後芸術祭」のクリエイティブディレクターとして参加することになった経緯は小林武史さんから相談があったからなのですが、もっと前に遡ると、同じく小林さんが手がけていた東京・代々木にあった商業施設「代々木VILLAGE by kurkku」を2020年末にクローズする際に、どんな風に終わらせるか、というところをコンセプトから一緒に携わらせてもらったんですね。その流れもあって相談を受けた感じです。 千葉で芸術祭をやると聞いてまず思ったことは、世の中には芸術祭はたくさんもあるし、現時点で最後発の芸術祭になるので、新たにまた一つ芸術祭を増やす意味ってなんだろうというところから考えました。また、地方型の芸術祭は、旅情を感じるような、旅も含めて楽しんでもらうということが一つの推しになっていると思うのですが、千葉県は東京の隣なのでそこまで旅情を感じる、というものではないですよね。千葉で芸術祭を開催する意義や意味を明確にする必要性があるということも感じました。 「百年後を考える誰もが参加できる芸術祭」というのはそんな議論から生まれたコンセプトです。これならやる意義があるかもしれない、と小林さんをはじめとするメンバーたちが共感し合った瞬間がありましたね。 僕はコンセプトって育っていくものだと思っていて、憲法みたいに絶対守らなきゃいけないものではなく、そのコンセプトをみんなが聞いたときに、それぞれが考えて解釈するものが機能するコンセプトだと思っているんです。なので、誰もが関われる芸術祭にするには、タイトル自体が誰が聞いても反応できるもの、解釈して、想像し、アウトプットすることができるものであるべきだと思いました。「100年後の未来はこうなるだろうな」、「自分だったらこうしたいな」、そんな風に想像することもアート活動だと思うんです。芸術祭に参加できなかったとしても「百年後芸術祭」と聞いただけで何かを想像してもらえたら、そんな想いを込めています。 この自分なりに解釈してアウトプットに変えられるという「百年後芸術祭」のコンセプトは、Butterfly Studioのメンバーをはじめ、千葉の行政の方々も含めたコアメンバーを巻き込んでいく上でもとても重要だと思っていて、当初は小林さんと僕でブレストして始まったことが、次第に数人、数十人というメンバーになり、今後さらにメンバーが増えていった時に、「自分が関わるとしたらどんな風に表現できるだろう」と、意欲をそそるコンセプトにもなっているんです。これは僕の経験則上ですが、自分事になりにくいコンセプトの場合はどうしても受け身になってしまったり、参加する目的を見出しにくくなってしまうんです。でも、このコンセプトであることで、「だったらこうしよう!」と、みんながそれぞれのプロフェッショナルの領域で想像してもらえるというメリットがありました。もちろんたくさんのお客さんに参加してもらうことが最終目的なんですけど、そのもっと手前の、「仲間を増やしていく」という部分でも機能していることを感じています。 ---------en Live Art Performance制作チーム「Butterfly Studio」発足の経緯は? Butterfly Studioは、「百年後芸術祭」を作り上げていくブレストの中から出てきました。「バンドのような形態」と言ったのはもちろん小林さんなのですが、芸術祭を新しく作る意味として、サステナブルな仕組みや新たなプラットフォームをこの芸術祭が担えるんじゃないかという話が出てきて、じゃあ未来をつくるプラットフォームってなんなのかを議論しました。 僕らがふだんクリエイティブに携わっているなかで、社会的にクリエイティブを継続的に発展させていく仕組みというのがあまりないよねという話になったんです。社会的な基盤としてクリエイティブが発展できるような場になればという想いがButterfly Studioのベースにあります。 極端なことを言えば、一握りの人しかアートやクリエイティブに携われないということではなく、一億総クリエイターであると。表現することって本来誰でもやれることだし、やっていいことなんですよね。もっとみんなが秘めている才能を世の中に表現できる場所があったらいいし、評価されたり、もっと活動を継続できるような、そういう仕組みを作りたかった。そのプラットフォームを「百年後芸術祭」というアウトプットを通じて実現できないかということでButterfly Studioは生まれました。「百年後芸術祭」のコアを作るメンバーとしてさまざまなジャンルの表現者が集まってくれています。 ---------芸術祭を作り上げていく中で苦労されている点、課題だと感じることがあれば教えてください。 誰もが関わることができること、いろんな人を巻き込んで参加してもらうことと「アート」の境界線って常にせめぎ合ってると思っていて、そうするとアートとは何か? という深い話になってしまうんですけど、その問いって、結構いろんなレベルで存在していると思うんです。アートや表現することは誰もができることでもありつつ、そのすべてをアートと呼んでいいのかどうかということは、人にもよりますし、さまざまな角度で捉え方があるじゃないですか。 今自分たちが作っているものが、新しい表現の形を目指しているのだけれど、それが果たしてアートと言えるのかどうか。エンターテイメントの要素も入っているし、テクノロジーの要素も入っているし、もちろんアートの要素も入っているんですけど、それがどんな融合をしていくと“芸術表現”に至るのか、というところは難しくもあり、常に意識しながら作っています。 いわゆる現代アートというのはとても領域が狭いですよね。en Live Art Performanceで表現するものは、それよりはもっとオープンで、関わりやすく、参加しやすいものであるべきだと思ったので、百年後がこうあってほしいという一つのかたちを、表現する側と観る側が溶け込んでいくようなものにしたいと考えています。 今関わっているみんなが感じていると思うのですが、さまざまなクリエイティブの領域が融合しているので、それぞれの立場、分野から見えてなかったことが、化学反応を起こしている感じが日に日に見えてきていて面白いです。もちろんそういう設計をしながら進めてはいるんですけど、実際に混ぜてみたときに起こる化学反応は日々更新されていて、それが全部融合するのが初回公演なので、そこでまた気づくこと、感じることがたぶんそれぞれにあって、それを今後もっと磨き上げていけたらと思っています。 2023年9月30日、千葉県市原市の上総いちはら国府祭り会場で「百年後芸術祭-内房総アートフェス-」のオープニングイベントとして「en Live Art Performance」の初公演が披露された。 ---------en Live Art Performanceを制作する中で、大木さんが見どころだと感じる点は? 僕と小林さんの中で、伝えたいメッセージをどう伝えるか、言葉と音楽のバランスはどうあるべきかということにだいぶこだわりました。また、ダンスパフォーマンスとドローンをどう共存させるか、映像とダンスの共存も含めて、観客側が見たときの視覚情報のバランスにはとても気を遣いました。 舞台構成自体がすごく立体的ですし、視野角も広く、五感のすべてで感じながら体験してもらうことになるので、映像を見るとか、音楽を聞くとか、舞台を見るということ以上に、今までにない感じ方をしていただけると思います。 ---------100年後、どんな世界になっていると思いますか?また、どんな未来を望みますか? いろいろ望むことはありますが、やはりアーティストや表現する人がもっと増えていたり、見る側と表現する側の区別がなくなっていくということが実現できているといいですね。もう一つ、それに近いことかもしれないのですが、肩書きや役割、職業みたいなことと個人がもっと自由になっている世界を今からイメージします。 僕は昔、「I am not a photographer.」という写真展をやったことがあるのですが、それは、僕は写真家という肩書きはないけれども、だからといって写真展をやっちゃいけないのか? という疑問が生じたことから発想したんです。肩書きや役職を越えて活動している人は今でこそだいぶ増えましたが、それがもっと普通になっていくといいなと感じています。それこそテクノロジーがその手助けしてくれるかもしれないし、そういうものが発達すれば社会制度も変わっていくかもしれない、そうなってくれば個人がもっと自由に考えて表現できるようになっていくだろうと思うんです。 ---------この芸術祭が日本の社会やカルチャーシーンにどのような影響があることを期待されますか? まだ始まったばかりですが、嬉しかったことのハイライトとして、いわゆる企業や行政の方が、「自分たちにも100年後って関係ありますよね、そういう参加の仕方もありですか?」と言ってくださるんです。未来の社会を作っていく中で、企業や行政の影響力は大きいわけですから、そういった立場の方々が100年後を考え、それを実行し始めたとしたらそれこそ社会が変わるきっかけになりますよね。アートに興味がある人だけじゃなくて、むしろそうじゃない人たちを含めて、「百年後芸術祭」が何かを考えるきっかけになることを期待しています。 ー「百年後芸術祭」に期待していることは? en Live Art Performanceがどうなっていくのかは、自分も含めて楽しみにしていることですが、来年の春にはまさに「百年後を考える」というコンセプトに対してアーティストたちがアンサーを出してくれます。どういう解釈をして、どういう表現をするのか、それはとても楽しみです。「百年後芸術祭」という言葉を聞いて、少しでも100年後のことを考えたのであればぜひ足を運んでみてください。いろんな人が想う100年後が千葉に集まりますので、ぜひ自分の考える100年後とアーティストが考える100年後を一緒に見てもらえると楽しめると思います。 edit & text :Kana Yokota

新たな形のバンド「Butterfly Studio」によるライブアートパフォーマンスを「百年後芸術祭」のこけら落とし的なイベントにしたい。

千葉県

2023.08.28

新たな形のバンド「Butterfly Studio」によるライブアートパフォーマンスを「百年後芸術祭」のこけら落とし的なイベントにしたい。

千葉県誕生150周年記念事業総合プロデューサー 小林武史 ---------まずは今回の「百年後芸術祭」発足の経緯をお聞かせください。 経緯となると少し長くなるのですが、僕が千葉・木更津でKURKKU FIELDSの前身となる農業生産法人 耕すを始めてしばらくしてから2011年に東日本大震災があり、ap bankを通じてボランティア活動をかなり大がかりにやっていたんですね。 それまでも未来に続いていくためのサステナビリティな活動を続けていましたが、震災があって、より東北に焦点を当てて時間をかけてやってきました。そんなとき、2012年だったと思いますけれども、ある知人の紹介でぜひ行ってほしいところがあると。それが新潟で行われていた大地の芸術祭だったんです。 北川フラムさんがやっているということくらいしか知らなかったのですが、実際に訪れてみて、本当にこの世界は地域の繋がりや営みでできているなと実感したんです。中央の権力に追従していくだけではなく、危うい未来に対しての問いかけをアートを通じてこんなに見事に実践している人がいることに感動しました。 一方で、僕らは2005年からap bank fes という音楽イベントを静岡県のつま恋でやっていて、震災後に復興支援の一環として2012年に東北でも2日間やりましたが、2、3日で終わってしまう音楽イベントだけでは絶対に成し遂げられない、もっと地域に入り込んで、会期が終わっても町自体がアートを通じて、良い方向に向かうような活動をするべきだと思ったんです。そうして始めたのがReborn-Art Festival(リボーンアート・フェスティバル)でした。 そして、それとは別に、食を通じて続いていく未来をつくっていくために最初にお話しした「耕す」を木更津で並行して続けていたんですね。もちろん音楽活動もやりながらですが、2010年代はずっと東北と千葉の両方で活動をしていたんです。そして、2019年に農業法人からもう一つステップアップしてお客さんを呼び込める場所としてKURKKU FIELDSをオープンしました。KURKKU FIELDSは決して僕個人の利潤追求のためにつくったわけではないのですが、やはり一つの事業としてスタートするべきだという風には思っていました。 千葉県木更津市にある30haの広大な土地を利用して、「農業」「食」「アート」の3つのコンテンツを軸としたサステナブルファーム&パーク「KURKKU FIELDS(クルックフィールズ)」を2019年にオープン。 2017年に宮城県石巻市・牡鹿半島を中心に51日間にわたって初めて開催され、豊かな自然を舞台に地元の人々とつくりあげた、「アート」「音楽」「食」を楽しむことのできる新しい総合芸術祭。3回目の「Reborn-Art Festival 2021-22」は「利他と流動性」をテーマに開催。 一方で、Reborn-Art Festivalというのはボランティアの延長で行っているものだという感覚があり、だからこそ僕は石巻の各地域に入り込んでいって、化学反応を起こしていく、出会うということをやってきました。ネガをポジに変えるアートの力をすごく感じたこともあり、東北と同じようにKURKKU FIELDSのある千葉でも芸術祭ができないかというようなことを実は数年前から妄想していたんです。 同時に、フラムさんが市原市で「いちはらアート×ミックス」をされていて、何度か見学にも行っていたんですね。アートというものが想像力や創造力を繋ぎ、この世界に足りないものを補っていく力があるということを感じ、KURKKU FIELDSでもアート作品を展示し始めていたこともあって、少しずつプロジェクトを始動しました。フラムさんと話す中で、若いクリエイティブディレクターを入れたいということで、大木秀晃君(OOAA inc.)に参加してもらい、小さなチームをつくりました。彼らとブレストしていく中で出てきた言葉が、「百年後芸術祭」というものでした。 ---------「百年後芸術祭」の具体的な内容についてお聞かせください。 「百年後芸術祭」はかなり大きなプロジェクトですから、フラムさんにお任せする部分と別軸でまず最初に目立つイベントをやりたいと思っています。 僕が音楽家だということもあるのですが、一つ一つのアートと対峙していろんなものに出会ったり気づいたりというようなアート鑑賞もすごく素敵だけれども、音楽をやっていると時間軸の中での表現なわけで、今回はその時間軸の中でできるアートパフォーマンスにチャレンジしたいと思ったんです。つまり作品を展示するだけじゃなくて、「こういうことをこの百年後芸術祭ではやりますよ」ということを最初の段階で見せていくのがいいんじゃないかと考えました。 大木君が「百年後芸術祭」というネーミングを考えてくれて、この芸術祭をどんなものにしたいかと話すうちに、千葉という場所があまりに東京と近いために旅情を感じられる要素が少ないということが課題に上がりました。フラムさんがやってこられた瀬戸内や新潟、奥能登芸術祭などとは違って都心からすぐ来られる場所なので、センチメンタルやノスタルジックということとは違う、もっと現代の最先端のクリエイターによるテクノロジーアートを見せられないかと思ったんです。 そこで新たに結成したのがButterfly Studio(バタフライ・スタジオ)です。音楽だけでなく、映像、テクノロジー、サイエンス、コンテンポラリーダンスなどさまざまな分野のアーティスト、クリエイターが新しい表現を創りだすために集まっていただきました。さまざまな才能を持った人がバンドのように集まり、お互いの感覚を響き合わせながらつくっていくチームで、このチームでやるイベントを「en(エン)パフォーマンス」と名付けています。現在「百年後芸術祭」のための作品を製作中で、具体的に決まっているものとしては、KURKKU FIELDSを舞台に10月21日に開催するライブアートパフォーマンスです。 僕が音楽制作に携わらせていただいた岩井俊二監督作品『スワロウテイル』という映画がありまして、この劇中に登場するYEN TOWN BAND(イェン・タウン・バンド)のChara、同じく岩井監督との2作目『リリイ・シュシュのすべて』という作品でLily Chou-Chou(リリイ・シュシュ)を務めたSalyu、そして、10月13日に公開される3作目の音楽映画「キリエのうた」の主演Kyrie(キリエ)を務めた元BiSHのアイナ・ジ・エンドに参加してもらいます。 Butterfly Studioのスペシャルプレゼンツとして「百年後芸術祭」にお招きする感じですね。僕と岩井監督の3部作記念でもあるし、Kyrieデビュー後の初ライブ記念でもあって、いろんなことが重なっています。 また、Butterfly Studioにはドローンチームもいて、個人的にもとても楽しみなチャレンジです。ドローン技術もどんどん進化していて、アメリカのバーニングマンというフェスでも近年音楽と融合したドローンパフォーマンスが話題になりました。こちらもぜひご期待ください。 ---------Butterfly Studioとしての活動は「百年後芸術祭」後も続いていくのでしょうか? そうですね、一過性のものとは考えていません。100年後の未来を考えながら、新たな表現を創り出すバンド、と言う形態なので、僕自身もどう進化していくのか楽しみにしています。 大震災や温暖化問題、コロナ禍などを経て、僕らは自然の一部であるということを感じないで生きていくことはできなくなりました。僕らの社会的な営みがこうして地球の気候にも影響を与えているということが鬼気迫る勢いで課題となっています。 これから僕らは自然とどういう関わり方をしていくべきなのか、東京を支えるための役割であった場所と東京という大都市とを俯瞰で見るといった視点は僕の中でずっとあって、それは「人工と自然」ということでもあるのですが、Butterfly Studioとしてもその着眼点を持ってコンセプトを考えています。 ---------「百年後芸術祭」の開催準備を進めていくなかで、芸術祭プロデューサーとして課題やハードルだと感じることはありますか? Butterfly Studioでいえば、みんなが各界の第一線で活躍している方々ばかりなので、予定を合わせることのハードルにはじまり、みんなの意見を合わせることの難しさはやはりありますね。プロデューサー的にはそれぞれのクリエイターやアーティストの持っている才能にさらに加算というか、僕が入ることでさらに響かせていくということもあるのですが、逆に有機野菜のように、素材の持つ良さをそのまま生かしたほうがいいんじゃないかということもあって、そのメリハリを大切にしたいと思っています。 50分ほどのパフォーマンスの時間軸の中にいろんな要素が入ってきますから、そこには主従関係がほぼないんですよね。たとえば今年ap bank fes’23を開催しましたが、あれはBank Bandとして櫻井君に演者としてメインになってもらっていますが、Butterfly Studioはそうではなく、メインの演者は立てずにやろうとしているんです。今年の秋から「en」のパフォーマンスをいくつか開催予定ですが、やっぱりいいものをつくって話題になりたいので、そこが一番の課題と言えるかもしれませんね。 ---------「百年後芸術祭」に興味を持ってくださっている方にメッセージをお願いします。 「百年後芸術祭」は、内房5市(市原市、木更津市、君津市、袖ケ浦市、富津市)で行う“内房総アートフェス”を中心に、市川市、佐倉市、山武市、栄町、白子町でも、各エリアその場所に応じたコンテンツを考えています。メインの期間としては、来年の3月半ばぐらいから5月までの2ヶ月間です。ちょうどゴールデンウィークもはさみますし、Butterfly Studioのパフォーマンス「enパフォーマンス」やアート作品の展示、食のいろんなイベントも企画予定です。春の比較的気候もいいときに房総半島を巡ってもらえると、きっと楽しんでいただけると思います。 実際に走り出していて感じるのは、やっぱりみんな100年後という言葉に反応するんですよね。おそらく100年後に希望だけを託せるものでもなくて、ディストピア的なイメージを想像する人も少なからずいると思います。そういう意味で「百年後芸術祭」は決して希望的観測だけではない、もっとエッジが立ったものになっていくと思います。 また、KURKKU FIELDSという牛や鶏がいる農場にドローンを飛ばすことも実験的ですし、エンターテイメントとしても楽しいものにしたいと思っています。できれば時間をかけて千葉を巡ってもらったり、何回かに分けて来てもらったりしてもらえたら嬉しいですね。この芸術祭に少しでも関心を持っていただけたら、ぜひ足を運んでいただきたいと思っています。 text :Kana Yokota

アートを原動力に、一人一人がちゃんと自分の努力で生きられるという状態が望ましい。

千葉県

2023.08.28

アートを原動力に、一人一人がちゃんと自分の努力で生きられるという状態が望ましい。

千葉県誕生150周年記念事業総合ディレクター 北川フラム  ---------「百年後芸術祭」に関わることになった経緯をお聞かせください。 実は、千葉県とは不思議な縁があり、高校生のときに半年近く、駅でいうと下総中山に住んでいたことがあるんです。それからずいぶん経って、市原湖畔美術館が改修になるということで、その改修をどうしたらいいかという相談がありまして、それが縁となって美術館の指定管理を手がけるようになりました。小さな美術館ですが、それでも全国的に評価の高い展覧会を開催してきたと思っています。そんなことがありながら、僕がほかの地域でやってきた芸術祭を千葉でもできないだろうかということで、「いちはらアート×ミックス」を開催しました。 特に小湊鉄道を通していろいろなことを考えていこうということをやっていましたね。「いちはらアート×ミックス」は、アートだけではなく地域の生活、風景、食をミックスでやろうというものでした。 基本的に芸術祭に関しては、僕が「ここでやろう!」と地域を選ぶのではなく、自治体などからオファーがあったところでやれることをやるというスタンスです。市原湖畔美術館は市原市の中でも南部の里山のところにあるんです。南部は面積は全体の半分あるんだけど、人口は数分の1しかないという場所です。千葉県全体は実に自然豊かだし、いろんなものがあるのだけど、市原の南部はやっぱり非常に過疎なんですね。だからそんな地域が元気になるためにはどうしたらいいかを美術館の活動をやりながら考えていかざるを得ないわけで、東京の近くで、工業地帯の横にありながら過疎になってくる農村地帯というところから入れたのは非常にありがたかったです。 © 2020 Ichihara Artmix Committee. ---------今回、「百年後芸術祭」ではどんなアートを展開していこうとしているかお聞かせください。 「百年後芸術祭」は「いちはらアート×ミックス」で活動してきたことがリサーチのベースになっています。地域を回ってみて、千葉の皆さんが長い歴史や農業、あるいは漁業を中心とした生活に価値を見出したいと思っておられることに驚きました。千葉県全体はすごく広い土地だし、農業・漁業というのは千葉県のベースにあるということを知事もほかの方々も感じています。 内房総アートフェスは、農業など昔からの千葉の遺伝子を打ち出したいと思っています。木更津なんかは昭和の時代から東京、川崎、横浜に近く、すごく賑わった歴史があるんです。木更津の花街にも当時は4000人近い人がいて、当時の見番が今も残っているんですよ。当時の豊かで元気が良かった昭和レトロの街をアートの舞台にしたいと木更津市が思っているのはちょっと驚きでした。見番というのは、お客さんが来られると、「あのお店にはあの芸者さん」、「この店にはその芸者さん」といった差配をやるんです。そういう見番の建物が残っていて、今も月に何回かはお稽古事をそこでやっている。今もまだ何人か残っているそうなんです。そんなところほかにあんまりないんです。殷賑(いんしん)を極めた時代があって、そのときの町の面影が木更津の駅前にまだ残っていて、興味深いですよ。 ---------「いちはらアート×ミックス」などのご経験から、芸術表現の場として千葉県の魅力や可能性をどのようなところに見出されているか、お聞かせください。 日本は2017年に文化芸術基本法を改訂しました。その中に、地域と関わる芸術祭と日本食の重要性が入ったんです。今までは食なんて文化に入っていなかったのですが、食で重要なことは豊かであること、旬のものを食べるから栄養バランスがいい、そして彩りを考えて見た目や出し方を工夫する。これらの点から日本食は世界的にみても(文化として)重要だということです。これらはもう千葉県にとってはぴったりのテーマですね。 熊谷知事は「千葉は日本の縮図だ」と仰っていますが、言い方を変えると僕は「東京の隣に北海道があるようなもの」だと思っているんです(笑)。広くて、自然豊かで、おいしいものがたくさんあるという意味で。 あとは、アクアラインで来ると本当によくわかるのは、三浦半島と千葉県の近さです。源頼朝が千葉にきて再起したというのがよくわかりますね。ほかの地域に行くよりは近いし豊かですから。里見八犬伝の里見家がもう一つの王国をつくろうとして千葉で頑張ってきたこともわかるような気がする。江戸時代も徳川幕府がほぼ直轄地にしていましたし、そういうことも含めて千葉県は本当に重要な土地だという感じがします。 「いちはらアート×ミックス」の作品。レオニート・チシコフ《7つの月を探す旅「第二の駅 村上氏の最後の飛行 あるいは月行きの列車を待ちながら」》© 2020 Ichihara Artmix Committee. ---------逆に、千葉をめぐられて課題として感じられたことはありますか? 千葉における課題というのは、東京に近いけれども農村地帯は人口減少がすごく激しいし、学校の統合がすごく行われていること。人口が減っていくとコミュニティが成立しません。それは大変なことだし頑張らなきゃいけない課題だと思います。 世界全体で見れば人口減が望ましいともいえるわけです。人口爆発のほうが怖いですからね。ただ、これまで高度経済成長で来たところが人口減で急激にしぼんでいるから大変で、その問題を解決しなきゃいけないんです。人口が減る中でどうコミュニティを作って豊かな生活ができるかという課題に直面しています。「いちはらアート×ミックス」もそれが最初の出発です。長年、里山連合の人たちとの縁はかなり丁寧に進めてきました。10年前とはアートに対しての理解もだいぶ変わりました。ようやく地域の中で根ざしてきているような気がするし、市原全体でも学校の美術の先生たちが一緒にやってくれるようになってくるなどだいぶ変わってきました。 それと、市原の地域は外国人労働者の方が結構多く、中国、韓国、フィリピン、ブラジル、ベトナムからアーティストを招いてワークショップをやったことがあります。このように市全体が持っているいろいろな課題というのはあるわけで、そういう課題に少しでも関われればいいなと思っていましたが、10年ぐらい経つと少しずつ形になってくるんですね。小湊鉄道の社長さんも、はじめはよくわからないときょとんとしておられましたが、すごく意識に変化があったようです。嬉しいですね。 ---------この芸術祭が日本の社会やカルチャーシーンにどのような影響があることを期待されているかお聞かせください。 20世紀は機会均等とか民主主義とか、どこにいても同じ体験ができるとかそういったことが目標とされてきました。それがホワイトキューブといわれる白い箱型のギャラリーです。市原であっても東京であってもニューヨークであっても、作品はすべて同じように見えるということが大切でした。実はこの価値観は美術館からではなく建築からで、東京も千葉も、ニューヨークもヨハネスブルクも全部同じ景観になりました。同じ景観にすることが一つの目標だったのですが、実際には都市だってぐちゃぐちゃだし、それでいい結果が出たわけじゃない。みんなを蹴とばしてレールに乗るしかないとか、競争とか、刺激とか、大量生産大量消費の時代になった。そうすると、本当はこれが生きているリアリティじゃないんじゃないかと思うようになってくるんです。 一人一人がちゃんと自分の努力で生きられるという状態が僕は望ましいと思っていて、それが充実感につながるのだと思っているんです。そういったことのベースになるようなことにアートというのはいいんじゃないかと思っています。 英国数理社の試験を解いて、平均点や偏差値を伸ばすことが良いのではなく、個人個人の考え方や感覚によって生き方が決まっていくような、責任を持てるような生き方しか今後は意味がないんじゃないかと僕は思っています。どんな場所でもなんとか生きていけるとか、そこの土地の人は守ってくれるというのは一番大切な価値観だと思っているので、そういう価値観のベースに美術があるといいなと思っています。千葉には里山・里海の良さがずっと残っています。そして江戸時代にも大きな藩があったわけではないから、地域の単位が適切な単位のコミュニティがあるというのがいいと思いますね。それが一番の特色だと思います。 ---------百年後、どんな未来を望みますか? 正直僕は今日、明日のことしか考えていないので、それ以上のことを全く考えられません。せいぜい2年先の芸術祭の骨格をもわっと考えるぐらいで、現実的には今日明日のことで精いっぱいです。芸術祭というのはその地域が長期的に成長していくために大切なことをやっていきたいと思っているので、結果的に未来を考えていることにはなるのでしょうけれど。100年先のことを考えている人たちは立派だと思います。今、多くの人はこれからどう生きるかに死に物狂いですよね。いろんなことががらがらと変わっていますから。そういう中でみんな自分がどう生きるかと考えることはとても大事なことだと思います。 text :Kana Yokota

「百年後芸術祭」に触発された方々が、千葉の各地域でうねりを起こしてもらうきっかけになれば。

千葉県

2023.08.28

「百年後芸術祭」に触発された方々が、千葉の各地域でうねりを起こしてもらうきっかけになれば。

千葉県知事 熊谷俊人 ---------まずは今回の「百年後芸術祭」開催の経緯をお聞かせください。 今年は千葉県誕生150周年ということもあり、これを機に、千葉県広域で文化芸術のうねりを起こしたいというのが、想いとして出てきていたんです。そんななかで、小林武史さんと北川フラムさんという全国的に活躍されている方々と、我々千葉県がご縁をいただくことができました。フラムさんは市原アートミックスを開催されてきた蓄積があったことも大きかったですね。「百年後芸術祭」というコンセプトが小林武史さんや皆さんから出てきて、最終的には内房総5市(市原市、木更津市、君津市、袖ケ浦市、富津市)いう形で、まず市町のエリアを越えた母体ができて、さらには100年後を考える芸術祭というコンセプトに賛同された他の地域からも一緒にやりたいという話が出てきてくれたので非常に僕らが理想とするような流れができているなと感じています。 ---------芸術祭開催にあたって、千葉県の魅力や可能性をどのようなところに見出されていますか? 僕はいつも千葉県は“日本の縮図”だと申し上げているんです。まず都市を代表する商業と工業という分野において産出額が全国で1桁の順位なんです。そして、日本の地方の象徴である一次産業である農業、水産業、こちらもいずれも1桁順位。この都市的な商業、工業、それから自然豊かな農業と水産業といった4つともがすべてトップテンに入っているというのは、全国でこの千葉県のみなので、どれだけ千葉県が日本の両面をしっかりと兼ね備えた県かということがお分かりになるかと思います。 そして、地政学・地理的な特性で言えば、千葉県というのは日本の首都である東京の隣にあります。そして成田空港があるという観点で言えば、まさに世界に最も近い場所です。そういった、非常に総合的な魅力にあふれた千葉県の中には、ある種いろんな文化が根付いています。それは都市的な人々が密集するがゆえに生まれてきた都市文化もあれば、自然豊かなそうした環境だからこそ生まれてくる文化もあります。 千葉県は令和5年6月15日に誕生150周年を迎えた。「百年後芸術祭」はこの記念事業の一環として開催される。 千葉県マスコットキャラクター チーバくん 特に僕らは三方を海に囲まれた海洋県でもありますので、特に特徴的なのは、海にまつわる文化だと思うんですね。たとえば、僕らはオリンピックで史上初めてサーフィンを開催をした地域でありますが、サーフィンといえば当然波。この波という切り口で言えば、波を克明に掘って浮かび上がらせて浮世絵にも影響を与えた「波の伊八」の存在があるなど、波に非常に関わりのある文化を持っています。漁業との兼ね合いで言えば、大漁だったときに、漁師に対して晴れ着を渡す、「万祝(まいわい)」という非常に日本の特徴的なデザイン様式が息づいています。そういった、海と関わってきた文化、習俗、デザイン、芸術こうしたものが私達の千葉県には根付いていますので、先ほど申し上げた都市的な文化、それから自然豊かなところから育まれてきた文化、そのなかでも特に千葉県において特徴的なものに光を当てて文化の振興策を作っていきたいですし、「百年後芸術祭」ではそうした都市と自然の両方を、対立軸ではなくて東京の隣の県でもあり、かつ地方県でもあるというこの千葉の魅力を発信できる芸術祭が展開できるのではないかなと思っています。 ---------10年後、20年後といった近い未来の千葉県像のイメージがあれば教えてください。 新型コロナウイルス感染拡大の中で大きく変わったのは、人々の生き方や働き方に対する価値観やスタイルだと思うんです。我々千葉県は、以前から2拠点居住の場として移住する方々が非常に多かったんです。サーフィンをした後に働くことができますし、自然とともに生きながら、東京にもすぐに行くことができる。そんな東京との距離感に魅力を感じて、2拠点生活や移住をされる方が増え始めてきた中で、新型コロナウイルスの感染拡大があり、テレワークが一気に社会として浸透しました。千葉の自然豊かな環境でテレワークをするスタイルが特に増えて来たなというのを実感をしています。 10年後20年後というスパンで考えれば、より技術は進化していきますし、働き方のスタイルもさらに多様化していくでしょうから、ますます千葉の自然豊かな環境で東京や世界というフィールドで仕事をするということができるようになってくると思います。そういう意味では、より千葉県が豊かなライフスタイルを実現する最も適した場所として、より多くの方々に注目をされるようになってくると思っていますし、そういう社会や新たなライフスタイルを実現するための支援策や取り組みを今加速化しているところです。働くこと、生きること、自然と触れ合うこと。今まではそれらを手に入れるために場所を移動していたけれど、すべて千葉県内で実現することができるということを、全国に発信をしていきたいと思っています。 さらには、その流れの中で、自然豊かな環境の中で芸術や音楽を楽しむことができるという千葉県らしさももっと広げていけると思うんです。たとえば市原アートミックスも、自然豊かな環境の中で現代アートを楽しめるという、東京では実現できない感動体験や刺激が得られるということを多くの人が実感したと思うんです。そして、今千葉は「音楽フェス県」となっておりまして、世界でも屈指の大きな音楽フェスが、春夏秋冬いつでも楽しめるようになってきています。もちろんホールの中で聞く音楽というのも充実していますけれど、やはり自然豊かな環境で音楽を聞くことの豊かさがあると思います。これらをもっと大事にしていきたいと思ってますので、千葉でしか味わえない豊かな生き方というのを、多くの皆さんが実感して、千葉に住んで暮らしている世界を、僕らは10年後20年後に作りたいと思っています。 ---------実際にそういったライフスタイルの支援策を具体的に進めているのですか? そうですね。たとえばワーケーションのように、旅行と仕事が兼ねられるような新たなスタイルも出てきていますので、そういう拠点を整備するときに我々県としても支援していますし、そういう生き方があるということそのものを発信するようにしてきています。実際に私の知人もそういう生き方を満喫してる方々が多いんですよ。 千葉県にはジビエ文化もあり、イノシシやキョンなど、農家を守るために駆除した上で、そのお肉をしっかり自然の恵みとして活用していただくという究極のサステナブルな生活スタイルを、テレワークで最先端のIT企業で働きながら実施されてる方々もたくさんいます。そういう生き方をぜひ広げていきたいですね。 KURKKU FIELDSの存在も大きいと思っていて、コンセプトがしっかりしていて、哲学もあって、そしてアートやデザインもあって、豊かなライフスタイルを総合的にコーディネートされた形で展開していただいているので、まさに我々の目指すべき社会をあの場所で具現化してくれているなと思います。 ---------100年後、どんな未来を望みますか? 100年後となるとまず一つ言えるのは、人口が減少していく社会の中で、おそらく日本人以外にも多様なルーツを持つ人たちがともに暮らしていけるようになっていることが考えられますよね。技術も進化をして、AIであったりロボットであったり、生身の人間以外にも社会にいろいろな形でなくてはならない存在が入ってきていると思います。そういう意味では今多様性というのが言われておりますが、僕らが今思っている多様性よりも、もっと広い次元で多様性のある社会が構築をされていると思います。そういう中で、その多様性を最終的に“価値”に落とし込んでいくためには、多様性を受け入れて、そしてともに生きていけるような、共通の想いや価値観、文化など、いろんなものが必要になってくると思うんです。 ですから、「百年後芸術祭」というものがこの千葉県誕生150周年の一過性のものに終わらずに、このコンセプトなり芸術祭というものがずっとその後も、千葉県の中で生きて広がっていくことによって、100年後の多様な社会のみんなの共通のよりどころというか、そういう存在に発展してくれることを期待しています。 そして、僕らが常に考えなければいけないのは、千葉という場所が日本や世界でどう貢献できるのか、どういう新たな価値を僕らが提示できるのかということが大事だと思っているんですね。東京や都市の中で生きてる人の中には、「引退したら田舎で生活しよう」みたいな、何となくおぼろげな人生イメージを持っている人たちが多いと思うんですけれど、千葉はそうではなくて、まさに働きながら自然とともに生きていくライフスタイルが実現できるんだよということもしっかりと提案したいと思います。 千葉は、おそらくこれから分散型エネルギーの見本的な場所になると思います。我々は太陽光発電、洋上風力発電、火力発電もあり、さまざまなエネルギーが集まっています。そういった分散型のエネルギーとしての姿も、千葉県というのは日本の中で特徴的な場所になるでしょうから、SDGsというキーワードがよく言われておりますけれども、そうした新たな社会のモデルが千葉から進んでいきますので、そうした姿も、我々としては世界にしっかりと発信をしていきたいと思っています。 ---------熊谷知事のオフの過ごし方、千葉好きなスポットなどがあれば教えてください。 千葉で暮らしていて本当にいいなと思うのは、子どもたちと休みの日に食事していて「これからイチゴ狩り行こう」とその日に決められること。車で20分も行けば大自然の中でイチゴ狩りができますし、一時間行けば外房で地引網ができる。普通に生活していて、ふらっと大自然でのアクティビティができるところが家族で生活をする上で魅力的だなと思います。一方で、マリンスタジアムで千葉ロッテマリーンズの応援をしたり、幕張メッセで行われる大きなイベントなどを見に行ったりといった、都市的な生活も謳歌することができますので、思いついたときにやりたいことが全部同じ県でできるというのは本当に魅力的なんですよ。 ---------「百年後芸術祭」に期待することを教えてください。 まずは、フラムさんに市原アートミックスをやっていただいているので、その土壌は必ず生かされるんだろうと思っていますので、そこからさらにフィールドが広がり、市原以外の街におけるアートがどのように溶け込んで、「こんな場所でアートを展示するんだ!」というような新たな驚きを、個人的にも楽しみにしています。そして、今回はやはり小林武史さんも入っていただいてますので、音楽の部分が合わさって、五感全体で楽しめる芸術祭になると思います。 そして、千葉の方々がまず千葉に自信を持って、「千葉の魅力ってここなんだ!」と実感していただくこと、そして、自分もこういうふうに行動してみようというきっかけになって欲しいです。芸術祭に触発された方々が千葉の各地域でうねりを起こしていただきたいですし、県外から来た人たちには千葉の魅力を実感をしてもらい、最終的には千葉に来ていただいたり、二地域居住していただいたり定住していただいたりという、そういう波及効果が出ることを期待をしています。 ---------千葉県誕生150周年事業としては、どのようなことを目指されているのでしょうか? 目的は大きく二つあります。今までは市町村それぞれで文化的な取り組みをやってきたと思うのですが、今回は千葉県全体で歴史であったり文化的資源だったりを一緒になって盛り上げていくという、市町村の枠を越えて一緒にやるからこその母体がしっかりこの機会に生まれてほしいと思っています。「百年後芸術祭」はそういう意味で、市町村を越えて行われる一つの取り組みです。そして、「百年後芸術祭」だけでなく、いろいろな場所で市町村の枠を越えた取り組みが行われますので、それがまず一つ、僕らの大きな目的です。 もう一つは、もう行政だけで目的を完遂できる時代ではないので、民間をはじめ、企業やいろんな方々と組んで実現をしていく中で、この150周年がある種、千葉県のことを考えていただくいろんな方々とコラボするいいきっかけになっています。前々から地域に貢献したかったという方々が、この150周年を契機に、県庁の門を叩いてくれていますので、それは150周年が終わっても、信頼関係や連携事業が息づいていることになるので、その二つの目的は、関係者の皆様方のおかげで少しずつ形になってきていると思います。「チーム千葉」として、一層チーム力が高まるきっかけになればと思っています。 text :Kana Yokota